Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第34号) 模擬原爆
16年7月21日
「模擬(もぎ)原爆」を知っていますか。1945年8月の原爆投下に向け、米軍が訓練のため日本国内に投下した爆弾です。長崎の「ファットマン」とほぼ同じ大きさで、「パンプキン(カボチャ)」とも呼ばれました。
「原爆」というと、広島と長崎を連想する人が多いのに対し、全国各地に落とされた模擬原爆は、あまり知られていません。その実態も戦後長い間、研究されていませんでした。1990年代に入り、空襲(くうしゅう)について調べていた市民や研究者の地道な調査によって明かされてきました。
核物質ではなく火薬を詰(つ)めた構造です。実際に原爆を投下する部隊が「本番」に備えて軍の中でも極秘に飛行。広島や長崎、他の候補地を想定し、別の都市の軍事施設(しせつ)を狙って落とし、多くの人が亡くなりました。ヒロシマ、ナガサキだけでなく、模擬原爆によって人々の命が失われた歴史を忘れてはいけません。
<ピース・シーズ>
平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの39人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。
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徳山高専元教授の工藤さん 「実際の使用につながった」
模擬原爆を研究する徳山高専元教授の工藤洋三さん(66)=写真・周南市=によると、戦闘機の搭乗員が原爆投下の練習をする▽日本の地形に慣れる▽爆撃(ばくげき)機や作戦上の欠陥(けっかん)を事前に見つける―などが製造の目的でした。
着弾(ちゃくだん)すると実際に火薬が爆発(ばくはつ)。地面に直径14メートルの穴ができるほどの衝撃(しょうげき)で、兵士の戦意を高めました。広島に落とされたウラン型は火薬との入れ替え方法が複雑で実現しなかったそうです。
米軍は1945年7月20日~8月14日の6日間に50発を使用。49発は本州、四国の軍需(ぐんじゅ)工場などが狙(ねら)われ、1発は東京都南の太平洋に投棄(とうき)されました。広島を想定し、周辺の愛媛県新居浜市(7月24日)宇部市(同29日)にも投下。8月9日以降は、攻撃用に使われました。
全国の犠牲(ぎせい)者は400人以上もいます。工藤さんは「模擬原爆は原爆の使用につながった。真相を究明し若い人たちに知らせていきたい」と話します。(高1中川碧、中3藤井志穂)
実物大模型 継承促す 新潟・長岡の資料館 昨年から展示
1945年7月20日に模擬原爆が落とされた新潟県長岡市では、市内の長岡戦災資料館で模擬原爆の実物大模型を、終戦70年の昨年から展示しています。
米軍は市内の軍需工場を目標にしましたが、雲のため目で見て確認できず、レーダーを頼(たよ)りに投下。畑に落ち、農作業中の人たち4人が亡くなりました。
同年8月1日夜の市街地空襲とともに模擬原爆についても伝えている同館。見学者は、模型の大きさに驚きを隠せないそうです。
市内の中学生も継承に取り組んでいます。ことし2月、修学旅行で広島を訪れた南中の2年生は、ジュニアライターと交流。写真を使って長岡空襲と模擬原爆の被害について発表しました。若木仁館長(69)は「実態を知り、平和にアプローチする方法を自ら考えてほしい」とメッセージを送ります。(高3松尾敢太郎)
地元被弾の事実を確認 愛知・春日井の金子さん
地元に模擬原爆が落とされた事実を突(つ)き止めた人がいます。市民グループ「春日井の戦争を記録する会」の金子力さん(65)=愛知県春日井市=です。戦争の歴史を学び、伝えていく大切さを訴えます。
春日井市に爆撃があったのは1945年8月14日。詳(くわ)しい記録がなく、金子さんが90年ごろから国立国会図書館(東京)に通って調べ、原爆投下部隊が模擬原爆4個を使ったと分かりました。犠牲者は工場で働く人や逃げ遅れた住民ら7人。周辺の家は爆風でつぶれたり燃えたりしました。
中学校教諭だった金子さんは現役時代、生徒と模擬原爆の模型を作って文化祭などで展示しました。徳山高専元教授の工藤洋三さんと全国調査もしました。「子どもや市民と地域の歴史を掘(ほ)り下げ調べることは、平和をつくる大きな力になる」と強調します。(高3福嶋華奈)
隠れていた歴史 児童書に 大阪の令丈さん 慰霊碑が契機
1945年7月26日に模擬原爆が落とされた大阪市東住吉区。現地には犠牲になった7人を悼んで慰霊碑が立っています。児童書「パンプキン!模擬原爆の夏」の作者で、近くに住む令丈(れいじょう)ヒロ子さん(52)と訪れました。
地下鉄田辺駅の南約200メートルの住宅街に碑はあります。2003年、買い物途中に偶然(ぐうぜん)見つけた令丈さん。「何だろう」と感じたのが作品を書くきっかけになりました。「原爆は広島と長崎の問題と思っていた。まさか自分の土地も関係するとは」。戦争をテーマにするのは気が重かったのですがペンを執りました。
作品は11年に完成。小学5年の少女が、いとこと模擬原爆について自由研究にまとめる内容です。身近に隠(かく)れていた歴史に驚(おどろ)き、さらに疑問を深める主人公に、令丈さんは自分の姿を重ねました。長崎で被爆した女性にも取材。戦前の長崎のように、文化や宗教が違っても理解し合う大切さを呼び掛けています。
碑の脇には、爆発直後を撮(と)ったモノクロ写真が並んでいます。民家や建物が激しく壊(こわ)され胸が痛みます。今は7月26日に追悼(ついとう)の集いが開かれています。全国の多くの人が「原爆」で命を奪(うば)われた事実を、広島に住む僕たちも知らないといけません。(中1植田耕太)
≪模擬原爆の大きさ≫
重さ 約4.5トン(1万ポンド)
長さ 約3.25メートル
直径 約1.5メートル
(2016年7月21日朝刊掲載)
【編集後記】
全国各地に落とされた爆弾にも関わらず、「模擬原爆」は、広島に住む僕たち若者にとって聞き慣れない言葉です。これは、他地域に住む若者が「原子爆弾」という言葉を身近に感じないことと同じです。
今回、僕は遠く離れた土地・長岡市に電話取材しました。自分の知らない地域の歴史をもっと掘り下げて学ぶこと、そして、そこから得た意見を人と共有することが、異文化の理解へとつながるのではないかと思いました。(松尾)
今回、私は工藤さんに取材をしました。話を聞いて、模擬原爆だけでなく、広島、長崎の原爆について知らなかったことも多くあり、驚きの連続でした。今後はこの取材で得た知識を、ほかでも生かしていきたいです。(中川)
「パンプキン」という名前はかわいらしい印象ですが、兵器としてとても非情なものだったことが分かりました。工藤さんへの取材の中で、「バラックだから兵士がいるに違いない」と投下目標にされた建物が、実は小学校だった、という話が悲しくて今でも耳に残っています。戦争が子どもさえ傷つけることを改めて強く認識しました。絶対になくさなくてはなりません。(藤井)
模擬爆弾についての本を書いた令丈さんは、「学校の先生からの反響が一番大きかった」と話していました。そして、その先生からは「自分も今まで知らなくて、この本で初めて知った。生徒に平和を教える教材として使いやすい」などという言葉をもらったそうです。僕もこの本で、はじめてパンプキン爆弾を知りました。平和な世界を作っていくために、これまで起きてきた出来事を知り、みんなでそれを共有することが、大変重要だと考えました。(植田)
春日井市の金子さんから話を聞きました。初めての電話取材だったので緊張しました。戦争中に起きたことを調べる時、自分と離れた所のことだと、どうしても他人事になりがちです。しかし、地元に関係していると興味を持ちやすく、自主的に学ぶことができるのではないかと思います。広島は原爆のことをメーンに平和学習をしますが、それだけでなく、あまり知られていないような地元に密着した戦争の歴史についても調べてみたいです。(福嶋)
「原爆」というと、広島と長崎を連想する人が多いのに対し、全国各地に落とされた模擬原爆は、あまり知られていません。その実態も戦後長い間、研究されていませんでした。1990年代に入り、空襲(くうしゅう)について調べていた市民や研究者の地道な調査によって明かされてきました。
核物質ではなく火薬を詰(つ)めた構造です。実際に原爆を投下する部隊が「本番」に備えて軍の中でも極秘に飛行。広島や長崎、他の候補地を想定し、別の都市の軍事施設(しせつ)を狙って落とし、多くの人が亡くなりました。ヒロシマ、ナガサキだけでなく、模擬原爆によって人々の命が失われた歴史を忘れてはいけません。
<ピース・シーズ>
平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの39人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。
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「本番」前後 全国でも悲劇
49発投下 犠牲400人以上
徳山高専元教授の工藤さん 「実際の使用につながった」
模擬原爆を研究する徳山高専元教授の工藤洋三さん(66)=写真・周南市=によると、戦闘機の搭乗員が原爆投下の練習をする▽日本の地形に慣れる▽爆撃(ばくげき)機や作戦上の欠陥(けっかん)を事前に見つける―などが製造の目的でした。
着弾(ちゃくだん)すると実際に火薬が爆発(ばくはつ)。地面に直径14メートルの穴ができるほどの衝撃(しょうげき)で、兵士の戦意を高めました。広島に落とされたウラン型は火薬との入れ替え方法が複雑で実現しなかったそうです。
米軍は1945年7月20日~8月14日の6日間に50発を使用。49発は本州、四国の軍需(ぐんじゅ)工場などが狙(ねら)われ、1発は東京都南の太平洋に投棄(とうき)されました。広島を想定し、周辺の愛媛県新居浜市(7月24日)宇部市(同29日)にも投下。8月9日以降は、攻撃用に使われました。
全国の犠牲(ぎせい)者は400人以上もいます。工藤さんは「模擬原爆は原爆の使用につながった。真相を究明し若い人たちに知らせていきたい」と話します。(高1中川碧、中3藤井志穂)
実物大模型 継承促す 新潟・長岡の資料館 昨年から展示
1945年7月20日に模擬原爆が落とされた新潟県長岡市では、市内の長岡戦災資料館で模擬原爆の実物大模型を、終戦70年の昨年から展示しています。
米軍は市内の軍需工場を目標にしましたが、雲のため目で見て確認できず、レーダーを頼(たよ)りに投下。畑に落ち、農作業中の人たち4人が亡くなりました。
同年8月1日夜の市街地空襲とともに模擬原爆についても伝えている同館。見学者は、模型の大きさに驚きを隠せないそうです。
市内の中学生も継承に取り組んでいます。ことし2月、修学旅行で広島を訪れた南中の2年生は、ジュニアライターと交流。写真を使って長岡空襲と模擬原爆の被害について発表しました。若木仁館長(69)は「実態を知り、平和にアプローチする方法を自ら考えてほしい」とメッセージを送ります。(高3松尾敢太郎)
地元被弾の事実を確認 愛知・春日井の金子さん
地元に模擬原爆が落とされた事実を突(つ)き止めた人がいます。市民グループ「春日井の戦争を記録する会」の金子力さん(65)=愛知県春日井市=です。戦争の歴史を学び、伝えていく大切さを訴えます。
春日井市に爆撃があったのは1945年8月14日。詳(くわ)しい記録がなく、金子さんが90年ごろから国立国会図書館(東京)に通って調べ、原爆投下部隊が模擬原爆4個を使ったと分かりました。犠牲者は工場で働く人や逃げ遅れた住民ら7人。周辺の家は爆風でつぶれたり燃えたりしました。
中学校教諭だった金子さんは現役時代、生徒と模擬原爆の模型を作って文化祭などで展示しました。徳山高専元教授の工藤洋三さんと全国調査もしました。「子どもや市民と地域の歴史を掘(ほ)り下げ調べることは、平和をつくる大きな力になる」と強調します。(高3福嶋華奈)
隠れていた歴史 児童書に 大阪の令丈さん 慰霊碑が契機
1945年7月26日に模擬原爆が落とされた大阪市東住吉区。現地には犠牲になった7人を悼んで慰霊碑が立っています。児童書「パンプキン!模擬原爆の夏」の作者で、近くに住む令丈(れいじょう)ヒロ子さん(52)と訪れました。
地下鉄田辺駅の南約200メートルの住宅街に碑はあります。2003年、買い物途中に偶然(ぐうぜん)見つけた令丈さん。「何だろう」と感じたのが作品を書くきっかけになりました。「原爆は広島と長崎の問題と思っていた。まさか自分の土地も関係するとは」。戦争をテーマにするのは気が重かったのですがペンを執りました。
作品は11年に完成。小学5年の少女が、いとこと模擬原爆について自由研究にまとめる内容です。身近に隠(かく)れていた歴史に驚(おどろ)き、さらに疑問を深める主人公に、令丈さんは自分の姿を重ねました。長崎で被爆した女性にも取材。戦前の長崎のように、文化や宗教が違っても理解し合う大切さを呼び掛けています。
碑の脇には、爆発直後を撮(と)ったモノクロ写真が並んでいます。民家や建物が激しく壊(こわ)され胸が痛みます。今は7月26日に追悼(ついとう)の集いが開かれています。全国の多くの人が「原爆」で命を奪(うば)われた事実を、広島に住む僕たちも知らないといけません。(中1植田耕太)
≪模擬原爆の大きさ≫
重さ 約4.5トン(1万ポンド)
長さ 約3.25メートル
直径 約1.5メートル
(2016年7月21日朝刊掲載)
【編集後記】
全国各地に落とされた爆弾にも関わらず、「模擬原爆」は、広島に住む僕たち若者にとって聞き慣れない言葉です。これは、他地域に住む若者が「原子爆弾」という言葉を身近に感じないことと同じです。
今回、僕は遠く離れた土地・長岡市に電話取材しました。自分の知らない地域の歴史をもっと掘り下げて学ぶこと、そして、そこから得た意見を人と共有することが、異文化の理解へとつながるのではないかと思いました。(松尾)
今回、私は工藤さんに取材をしました。話を聞いて、模擬原爆だけでなく、広島、長崎の原爆について知らなかったことも多くあり、驚きの連続でした。今後はこの取材で得た知識を、ほかでも生かしていきたいです。(中川)
「パンプキン」という名前はかわいらしい印象ですが、兵器としてとても非情なものだったことが分かりました。工藤さんへの取材の中で、「バラックだから兵士がいるに違いない」と投下目標にされた建物が、実は小学校だった、という話が悲しくて今でも耳に残っています。戦争が子どもさえ傷つけることを改めて強く認識しました。絶対になくさなくてはなりません。(藤井)
模擬爆弾についての本を書いた令丈さんは、「学校の先生からの反響が一番大きかった」と話していました。そして、その先生からは「自分も今まで知らなくて、この本で初めて知った。生徒に平和を教える教材として使いやすい」などという言葉をもらったそうです。僕もこの本で、はじめてパンプキン爆弾を知りました。平和な世界を作っていくために、これまで起きてきた出来事を知り、みんなでそれを共有することが、大変重要だと考えました。(植田)
春日井市の金子さんから話を聞きました。初めての電話取材だったので緊張しました。戦争中に起きたことを調べる時、自分と離れた所のことだと、どうしても他人事になりがちです。しかし、地元に関係していると興味を持ちやすく、自主的に学ぶことができるのではないかと思います。広島は原爆のことをメーンに平和学習をしますが、それだけでなく、あまり知られていないような地元に密着した戦争の歴史についても調べてみたいです。(福嶋)