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ピース・シーズ

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第53号) 核兵器廃絶へ できることは

 ノーベル平和賞を受けた非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))の事務局長、ベアトリス・フィンさんは1月に訪れた広島で中国新聞ジュニアライターにこんな言葉を残しました。「皆(みな)さんの世代で解決しなければ、核兵器が再び使われる可能性は高い。若い人たちの力は大切」

 核を巡る世界の状況は悪くなっています。人類を滅(ほろ)ぼす核兵器をなくし、平和な未来を築くためには、これからの社会を担う10代の力は確かに欠かせません。ジュニアライターは、核兵器廃絶を訴える活動をしている広島県内の高校生らを取材しました。

 私たちの世代にできることは限られているかもしれません。それでも、ヒロシマの若者として使命感を持つ生徒たちと交流し、小さな一歩が大きなうねりを生む可能性があることを感じました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学、高校生の25人が自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

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身近な一歩 希望の光に

高校生1万人署名活動

現場ルポ 呼び掛け 熱くひたむき

 「核兵器廃絶と平和な世界の実現のため、署名活動を行っています。ご協力をお願いします」。1月末、高校生1万人署名活動実行委員会の8人が平和記念公園の元安橋で署名を集めていました。

 雪が降る中、高校生たちが大きな声で呼(よ)び掛(か)けると、通行人や外国人観光客が立ち止まって署名していました。足早に通り過ぎる人もたくさんいましたが「平和の意識を持ってもらおう」と必死な姿は、輝(かがや)いていました。

 尾道高1年の岡本偉吹(いぶき)さん(16)は「微力(びりょく)だけど無力じゃない、をモットーに活動しています」と言います。署名活動は2001年に長崎市で始まり、広島市では11年以降、毎月1回、元安橋などで活動しています。

 毎年、広島と長崎の市民たちで派遣する高校生平和大使が、スイス・ジュネーブの国連欧州(おうしゅう)本部に署名を届けています。これまでに160万人分以上を提出したそうです。

 平和大使に選ばれ、昨年ジュネーブに行った英数学館高2年の船井木奈美(こなみ)さん(17)は「さまざまな立場や考えの人たちに、核兵器の恐(おそ)ろしさを伝えることが廃絶への第一歩」と強調します。多くの人が参加しているのを目の当たりにし、やりがいも感じました。私たちも署名集めに参加してみたいと思います。(高1平田佳子、鬼頭里歩)

同世代の輪 広げよう 意見交換

 高校生1万人署名活動に参加した7人とジュニアライターが意見交換(こうかん)をしました。

 初めて署名活動に参加したという国泰寺高1年池内愛花(まなか)さん(16)は「私たち10代がしっかり原爆のことを知らないと次世代に伝えられない。原爆のことをもっと調べようと思う」と言います。また、前年度の平和大使を務めた舟入高3年の伊藤美波(みなみ)さん(18)は「地元の人でも原爆が落ちた日時を言えない人がいる。国内の同じ世代の関心を高めていくことが必要だ」と指摘(してき)しました。

 「外国人の方が署名に協力してくれる。日本人も平和に対する考えをしっかり持たないといけない」「若いからこそ、いろんなグループが協力して、輪を広げられると思う」という意見も聞きました。

 ジュニアライターからは「平和な時代に生まれた私たちは、そのありがたみが薄れている。もっと若い世代の心をつかむ記事を書くことで、意識を変えるきっかけをつくっていこうと思う」「一緒に考えてくれる10代をもっと増やすことが大事」と発言しました。(高2岡田輝海、高1川岸言統)

高校生平和大使

家族の体験談 耳傾けて

第20代 小林美晴さん(17)=広島大付属高2年

 核兵器廃絶を訴えるために民間から海外に派遣される高校生平和大使は1998年に始まりました。ことしのノーベル平和賞の候補()に推薦(すいせん)されたそうです。第20代大使で広島大付属高2年の小林美晴さん(17)に聞きました。

 昨年6月に高校生平和大使に就任し、8月にジュネーブの国連欧州本部を訪問しました。国連軍縮会議を傍聴(ぼうちょう)し、いろんな国の人たちとの交流を通して、核兵器廃絶というゴールは一つでも、さまざまな考え方や方法があることを知りました。

 平和活動に関心を持ち始めたのは幼稚園(ようちえん)のころです。園長先生から、世界には食べ物に恵(めぐ)まれない人がたくさんいることを聞いたことがきっかけです。小学校で原爆を学び、広島に生まれた若者として、核廃絶のために何かしなきゃ、と思うようになりました。

 平和大使に応募(おうぼ)したのを機に、原爆で母親を失った祖父にも初めて被爆体験を聞きました。周りには、体験を聞く前に亡くなった被爆者もいます。何度も聞く機会があったのに、なぜ聞かなかったんだろうと後悔(こうかい)しました。地元の高校生には、身近な被爆者の話をぜひ聞いてほしいです。

 復興した広島には今、幸せな暮らしがあります。幸せな生活を守ることも大切な平和活動です。地域ボランティアに参加するなど、自分ができることから始めてみてください。被爆者の代弁者として、これからも地道に平和の思いを伝え続けようと思います。(聞き手は高2松崎成穂)

盈進中高 ヒューマンライツ部

平和発信の工夫に感心 部活に密着

 先月、福山市にある盈進(えいしん)中高のヒューマンライツ部の活動に密着しました。部員の数は28人。この日は、小学校に行って発表する出前講座の練習を見学しました。クイズやお笑い芸人の物まねを取り入れ、原爆や核兵器の問題を小学生が理解できるよう工夫していました。

 平和と人権をテーマに活動するヒューマンライツ部は、ハンセン病の元患者(かんじゃ)さんや、東日本大震災(しんさい)で被災(ひさい)した人たちと交流をしてきました。盈進と広島女学院高、沖縄尚学高を中心に、核兵器廃絶を目指す署名キャンペーンにも取り組んでいます。

 最近は被爆者の坪井直(すなお)さん(92)の半生をまとめた冊子も作りました。

 高2の高橋悠太(ゆうた)部長(17)は「将来を担う僕(ぼく)らが被爆者の体験や思いを聞き、自分の子どもたちにも働きかけないといけない。目の前の人を大切にし、心を込めて接すれば憎(にく)しみはなくなる」と言います。

 ニューヨークの国連本部やバチカンなど、海外へ派遣(はけん)される部員もたくさんいるそうです。中1の塩川愛さん(12)は「みんなで一緒に活動することが楽しい。先輩のように、国連で核兵器の恐ろしさを伝えたい」と意気込んでいました。真剣(しんけん)に平和の発信に挑戦(ちょうせん)している同世代を見て感銘(かんめい)を受けました。私も平和の大切さを広めたいと思います。(中2森本柚衣)

被爆地の思い 届いた

ローマ法王に謁見した重政優さん(17)=盈進高2年

 盈進高のヒューマンライツ部員で2年の重政優さん(17)は昨年12月、ローマ法王フランシスコに謁見(えっけん)しました。今の思いを聞きました。

 日本とバチカンの国交樹立75周年を記念した作文コンクールで最優秀(ゆうしゅう)賞に選ばれ、親善大使としてバチカンに行きました。ローマ法王には「広島から来ました。核廃絶のためにお祈りしてください」と直接訴え、折り鶴と折りバラも手渡(わた)しました。

 法王は「(広島の原爆のことを)忘れてはならない」と力強く言われました。帰国後、原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を広めるよう指示したことを知り、私の訴えが伝わったのかなと感じました。

 私の母はフィリピンの出身です。小学生のころはいじめられ、「ママが日本人だったら良かったのに」と思ったこともありました。しかし、ヒューマンライツ部に入って「自分はハーフ(半分)ではなく、ダブル(二つ)なんだ」と考え方が変わりました。

 前は平和学習に関心はなく、国連に行った先輩がかっこいいと思うぐらいでした。部活でいろんな人と交流し、勉強すればするほど自分の知識のなさを痛感します。バチカンでの経験を多くの人とシェアし、持続可能な平和活動をみんなで考えていきたいです。(聞き手は中3伊藤淳仁)

(2018年2月15日朝刊掲載)

【編集後記】
 今回の取材で印象的だったのは、小林さんの平和への強い思いです。平和大使として活動する中で一番印象に残っていることを質問すると、「活動の一つ一つがとても大切で、多くのことを吸収できる貴重な経験」と答えていました。また、「大切なのは、大勢の人の前でスピーチをすることだけではなく、被爆者や自分の思いを身近な人から伝え始め、多くの人に伝え続けていくことだ」と話していました。小林さんのスイス訪問をきっかけに、平和活動への向き合い方も変わったそうです。謙虚(けんきょ)な姿勢で、芯(しん)の通った意見を持って活動を続けている小林さんの姿に、同じ17歳として、とても刺激(しげき)を受けました。(松崎)

 高校生平和大使の小林さんを取材しました。小林さんが「以前は自分の視野が広いつもりだったが、本当は狭(せま)かったことが分かった」と話されていたことが印象的でした。私もこれからは、小林さんのようにたくさんの視点を取り入れつつ、一本筋の通った強い信念を持つことも大切にしたいと思いました。(平松)

 僕は福山市の盈進中高ヒューマンライツ部を取材しました。ヒューマンライツ部のみんなは、被爆者やハンセン病の元患者さんたちから話を聞いたり、街頭で署名活動を行ったりしているほか、広島から世界へ羽ばたいて活動しています。自分たちと同じ世代の中高生に話を聞いたことで、自分も今できることを頑張ろう、中高生の自分たちにしか出来ないことを頑張ろう、と感じました。(伊藤)

 雪の中、高校生たちが署名活動を行う姿を取材し、改めて、地道な平和活動の大切さを感じました。それと同時にジュニアライターだけではなく、それぞれの手段で核兵器廃絶を目指している同世代を見て、平和活動の広がりを感じ、うれしかったです。少しずつでも、仲間が増えていくと理想的だな、と思いました。(鬼頭)

 今回は同世代を取材しました。署名活動に参加していた高校生たちは、自分なりに平和と向き合って行動していました。僕たちジュニアライターと似ていたのでとても誇らしい気持ちになりました。僕も、署名活動に参加したいです。(川岸)

 私は、ヒューマンライツ部の取材を担当しました。同世代なのにしっかりとした意思、考えを持っていることに驚きました。そして、何事も中途半端にせず、芯の強い姿勢も、お手本になりました。(森本)