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原爆記録写真

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <中> 劣化の危機

調査・保存「国も関与を」 原本の真実性 増す重み

 「フィルムの劣化はすでに始まっている」。昨年9月に中国新聞社(広島市中区)を訪れた東京大史料編纂(へんさん)所技術専門職員の谷昭佳さん(51)は、白い手袋をはめ、細心の注意を払いながらネガフィルムを手にした。松重美人さんが1945年8月6日に撮影した5枚。目を凝らし、初期の波打ちを確認した。

 化学変化により画像を定着させるフィルムは、経年劣化を避けられない。特に戦中や戦後初期のフィルムは「ビネガーシンドローム」と呼ばれる現象が起きやすい。より古い明治・大正期の古写真の原本であるガラス乾板に比べ、むしろ喫緊の課題という。「100年単位で残すには、保存環境の整備が欠かせない」

 約7万点の写真資料を保管する原爆資料館(同)もネガの保存には頭を悩ませる。劣化を抑える中性紙のケースや箱に収め、衣類など実物資料と同じ収蔵庫で管理する。気温20度、湿度50%を目安とし、一般的な博物館並みの水準だ。

 ただ同館の資料は寄贈時点で傷んでいるケースも多く、ネガも例外ではない。復興期の広島を記録したネガの一部でビネガーシンドロームが確認されたこともある。保存に望ましい低温管理には、多額の投資を伴う専用施設が必要だ。

 長崎原爆資料館(長崎市)も苦しい事情は同じ。約700点のネガやガラス乾板を保存するが「展示する実物資料も劣化しており、そちらの対策を優先せざるを得ない」と明かす。

 「個々の博物館や資料館では、予算も人手も足りないのは当然だ」。日本写真保存センター(相模原市)を運営する日本写真家協会(東京)の松本徳彦副会長(85)は、そう指摘する。

 同センターは写真の原本保存と、活用に向けたデータベース化を目的に、国立映画アーカイブ相模原分館の一角を借りて運営する。室温10度、湿度30%で、長崎の原爆被害を記録した山端庸介さんの写真を含め、ネガやガラス乾板など約11万点を収蔵する。国の調査研究費を受けてはいるが、費用の大部分を協会の基金や寄付金などで賄う。

 松本さんは「フィルムの原本は、プリントやデータになる以前の事実そのもの。日本の大事な記録」。しかし日本は湿度が高い上、ビネガーシンドロームが国内で認識され始めたのも90年代から。「この間にどれほどの原本が失われたか。国が歴史資料として位置付け、調査や保存に責任を持って関与すべきだ」と訴える。

 松重さんのネガ鑑定で谷さんは、素材や経年による傷み、カメラに装塡(そうてん)した跡などを手掛かりに「45年8月6日撮影」の詳細に迫った。「デジタル技術の進歩でフェイク(偽物)の判別がより難しくなる中、原本こそが真実性を担保する」。ネガ保存の重みは増す。

 5枚のネガフィルムは26日、市指定の重要有形文化財に決まった。保存の重要性を巡る共通認識は、明確になった。谷さんは「これを、次へのきっかけに」と強調する。原爆被害の実態を伝える写真は、被爆翌日からの軍や報道機関による記録、米軍撮影など多岐にわたる。「より幅広く、原爆写真の原本全体を文化財と捉え、残していくべきだ」(明知隼二)

(2021年3月29日朝刊掲載)

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あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <上> 唯一の記録

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <下> 生きている資料