平和を奏でる明子さんのピアノ 第4部 戦後、そして未来へ <5> 次世代への継承
20年10月19日
日常尊ぶ心 世界つなぐ
ピアノを弾き、唱歌を口ずさんだ日々―。「明子さんのピアノ」は、戦争の時代にもあった何げない幸せを今に伝え、若者たちに共感の輪を広げている。
側面にガラス片が刺さったピアノから、温かみのある音色が流れ出す。今夏、広島市東区出身の早稲田大4年中村園実さん(22)は、平和記念公園(中区)のレストハウスにある明子さんのピアノを使って「リモート合唱」を収録。原爆で絶たれた明子さんの生涯とともに構成した約13分の作品を、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開した。
被爆3世だが、幼いころに被爆した祖母はあの日の記憶がほとんどない。原爆はただ「怖い」というイメージだった。中学生になって、幼なじみに誘われて入った原爆資料館(中区)の「中・高校生ピースクラブ」で、明子さんを知った。電子オルガンと合唱が好きな自分と「同じだと思った」。遠い存在だった8月6日がぐっと身近になった。
新型コロナウイルスの影響で「広島を訪れることができない人々に届けたい」と動画を企画。ピースクラブの後輩で関西学院大2年の池田穂乃花さん(20)=安佐南区出身=がピアノを弾いた。「原爆って歴史の中の出来事だと思っていた。自分たちと変わらない人々が亡くなったんだね」。東京の同級生から送られてきたメールの、素直な感想がうれしかった。
写真をカラー化
原爆以前の広島で撮影されたモノクロ写真を人工知能(AI)技術でカラー化している東京大1年庭田杏珠さん(18)=東区出身。今夏、同大大学院の渡邉英徳教授と共著で、355枚のカラー化写真を収録した「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社)を出版した。その中には、明子さんと家族の写真4枚も含まれている。
生後7カ月の明子さんがあどけない表情でピアノの前に座る1枚。AIで自動的にカラー化した後、資料や証言を基に地道な手作業で色を補正していった。明子さんの背後に赤い服のサンタクロースが浮かび上がった。ピアノの陰に隠れていたバナナの大きな房も「発見」した。色彩を持った写真からは、明子さんを囲んで迎える初めての聖夜の温かさが伝わってくる。
カラー化する素材を選ぶ際には悲惨な戦争の記録よりも、ありふれた日常を選ぶという。「自分の家族写真のように見てもらいたいから」。そして、失われた日常を感じてほしい。人ごとではなく、「自分ごと」として。
動画作品を発信
新型コロナの影響で規模を縮小して行われた今年の平和記念式典。例年は合唱団が響かせる「ひろしま平和の歌」を、舟入高(中区)の音楽部2年の女子生徒3人が歌った。中央に、感情を込める村田菜(さい)さん(17)=東区=の姿があった。
3年前、牛田中の放送部で明子さんの生涯を追った約9分のビデオ作品「ショパンを愛したピアノ」を制作。NHKの全国コンテストで最優秀賞に輝いた。その後、部員たちで英語に吹き替えた英語版も制作。ユーチューブで公開すると、世界中に反響が広がった。ドイツ語の字幕版も現地で自主制作された。
幼いころから歌うことが大好きで、高校でも部活の仲間と合唱に打ち込む日々を送っていた。だが突然のコロナ禍で、学校が再開されても感染拡大防止のため部活は休止が続いた。明子さんのことを思った。「自由にピアノが弾けなくて、好きな歌が歌えなくて。つらかっただろうな。悔しかっただろうな」
くしくも明子さんが通った高校に進学し「後輩」となった。歌える喜び、仲間、平和、明子さん―。平和記念式典では、さまざまな思いを込めて歌った。
「若者たちが明子さんのピアノから『ヒロシマの記憶』を受け継ぎ、私たちの世代にはできない新しい方法で伝えようとしてくれている」。明子さんのピアノを保存し伝える活動に長年取り組んできたHOPEプロジェクト二口とみゑ代表(佐伯区)は思いを託す。(西村文)
(2020年10月17日朝刊掲載)
平和を奏でる明子さんのピアノ 第4部 戦後、そして未来へ <1> 最後の親友
平和を奏でる明子さんのピアノ 第4部 戦後、そして未来へ <2> 二つの被爆楽器
平和を奏でる明子さんのピアノ 第4部 戦後、そして未来へ <3> 復興のメロディー
平和を奏でる明子さんのピアノ 第4部 戦後、そして未来へ <4> 日米の懸け橋