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証言 記憶を受け継ぐ

『 記憶を受け継ぐ』 今西和男さん―家が崩れ足にケロイド

今西和男(いまにし・かずお)さん(80)=広島市中区

受けたひやかし サッカーではね返す

 サンフレッチェ広島の草創期に総監督(そうかんとく)を務めた今西和男さん(80)は、4歳で被爆しました。熱線を浴びた左足は、今もケロイドで引きつっています。逆境をばねに、サッカー選手として活躍し、後身の育成や、地域スポーツの盛り上げにも力を注いできました。

 平塚町(ひらつかちょう)(現広島市中区東平塚町)で生まれ育ち、4人きょうだいの末っ子でした。各地で米軍による空襲(くうしゅう)が激しくなっていた1945年4月、一家は、広島駅近くの二葉の里(現東区)へ引っ越します。空襲に備えて防火帯の空き地を造るため、「建物疎開」の対象となったからです。

 あの日の朝は、自宅2階の窓際に座り、足をぶらぶらさせながら、近所の女の子と口げんかをしていました。爆心地から約1・6キロ。突然、ピカっと光り、ずしーんと家が崩(くず)れて屋根の下敷きになりました。

 母キヌ子さん(90年に83歳で死去)に引っ張り出されて背負われ、牛田山の防空壕(ぼうくうごう)を目指しました。逃げ惑う人を見て「おかあちゃん、あの人、血が出とる」と叫(さけ)ぶと「あんたも血が出とるでしょ。だまって背中におりんさい」と諭(さと)され、わっと泣きだしました。

 川には死体がぷかぷか浮かび、水を飲もうとする人であふれていました。「4、5歳の記憶はほとんどないのに、あの日の光景は忘れられない」。一晩過ごした防空壕は、負傷者でいっぱいでした。

 翌日、2人は矢賀(現東区)の親戚宅へ避難(ひなん)します。頭や腕、足に大やけどを負った今西さんの傷痕(きずあと)は、次第にジュクジュクしてハエがたかり、うじ虫が湧(わ)きました。「ピンセットでつまんでもらうたびに痛くて泣き叫んだ」

 数日後、一番上の姉久恵さん(当時16歳)が動員先から大八車で運ばれてきました。元陸上選手の為末大さん(43)の祖母となる人です。顔や手をひどく焼かれていましたが徐々に回復しました。

 小学4年の3学期だった52年春、一家は平塚町へ戻ります。現在の平和大通りに面した場所ですが、雑草に覆(おお)われバラック(小屋)も点在していました。転校先の竹屋小で、手足のケロイドを「やけどこぼれ」とひやかされました。「今考えれば、いじめ。悔(くや)しくてつらい思いをしたからこそ、他人に配慮できるようになった」と振り返ります。

 時折、竹屋小にジープ型の車が来て、比治山の原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)へ連れて行かれました。裸で写真を撮影され、「子どもながらすごく腹が立った」。先生から「原爆が人体に及(およ)ぼす影響を調べている」と聞きました。

 国泰寺中を経て、舟入高へ進学。ケロイドの引きつれがありながらも、俊足(しゅんそく)ぶりを買われて柔道部から2年生でサッカー部に移ったことが大きな転機となりました。東京教育大(現筑波大)に進み、63年に入社した東洋工業(現マツダ)でもサッカーを続けました。

 後に日本サッカー協会会長を務めた長沼健さん(2008年に77歳で死去)に見いだされ、66年には日本代表に選ばれます。広島高等師範学校付属中(現広島大付属中・高)出身の長沼さんも被爆者。「廃虚(はいきょ)になってしもうた広島の街が、もう一回元気になってほしい」と打ち明けられました。

 今西さんも思いは一緒でした。69年に現役を引退後は、指導者として地元のサッカー界を支え、93年、Jリーグ開幕と同時にサンフレッチェ広島の総監督に。現在、東京五輪の日本代表監督である森保一さん(52)をはじめ数々の有力選手を育てました。

 本業の傍ら、85年から09年にかけて、母校の「広島舟入・市女同窓会」会長も延べ10年務めています。前身の広島市立第一高等女学校で676人が原爆の犠牲になったことを知り「何の罪もない13歳前後の少女たちが亡くなった。被害者は自分だけではない。後世に伝えよう」との思いを強くしたからです。

 03年の「サッカースタジアム推進プロジェクト」発足にも携わっていた今西さん。現在、市が中央公園広場(中区)で建設計画を進めています。「サンフレもカープ同様市民に支えられてきた。広島の復興を多くの人が感じる場になってほしい」と願っています。(桑島美帆)

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私たち10代の感想

前向きな考え方 見習う

 左腕や足にケロイドが残った今西さんは、子どものころ、からかわれたそうです。しかし「悲惨な思いをしたからこそ、仲良くすることが身に付いた」と考えたと聞き、驚(おどろ)きました。被爆した上にいじめられるなんて私だったら悔しさでいっぱいになります。つらいことがあっても、今西さんのように前向きに捉(とら)え、乗り越えたいです。(中1山下裕子)

異文化に触れ戦争防ぐ

 今西さんは、戦争を起こさないためには「いろいろな国の人と交流することが大切」と強調しました。現役時代、外国人選手と食事をし、異文化を知ることで打ち解けたそうです。新型コロナウイルスのため交流の機会は減っていますが、日常が戻れば積極的に異文化に触れ、国籍(こくせき)や意見の違(ちが)いを理解できるよう視野を広げたいと思います。(高2桂一葉)

スポーツで交流深める

 「スポーツは大変良い」という言葉を、今西さんは何度も繰り返していました。同じルールで競い合い、人と人が交流できるからです。しかし、平和でなければ、自由にスポーツを楽しむことはできません。平和な世の中をつくるため、当たり前のことができることに感謝し、たくさんの人と支え合いながら生きていこうと思います。(高1中島優野)

(2021年8月2日朝刊掲載)

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