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『書評』 原爆スラムと呼ばれたまち 石丸紀興ほか著

広島が記憶すべき30年

 広島市街を流れる太田川左岸に「原爆スラム」と呼ばれたまちがあった。4年前、NHKの特集番組を見ていたところ、若い人が「都市伝説でしょ」という言い回しで取材に応じていて、いささか衝撃を受けた。責めるつもりはない。事実、そのまちは30年存在しながら跡形もない。だが都市伝説でもないのだ。

 著者の石丸、千葉桂司、矢野正和、山下和也はいずれも建築の専門家。1970年と79年の2回にわたり「基町相生通り」と呼んだ現地を踏査した。70年は再開発に伴う家屋撤去を控えた調査で、79年はその追跡調査である。

 基町相生通りは原爆投下の目標にされた相生橋から1・5キロさかのぼり、空鞘橋を経て三篠橋に至る河川敷。被爆者をはじめ敗戦後の諸事情で住まいを失った人たちが、混乱のさなか、国有地に最大千戸のバラックを建てて住み着く。不法占拠ではあるが、生きる権利を懸けた、やむを得ない選択でもあった。

 70年当時の著者たちはまちに一室借り、720戸のうち400戸で聞き取りや実測に成功した。河川敷の「いえ」には敷地割りや所有権がない。このため極小住宅でも一軒一軒自在に建てられ、一つとして同じものがない。「いえ」は立て込むにつれて、おのずと「すき間」ができ「みち」や「たまり場」といった公共空間を生み出す。通風や採光も考慮されていた。

 まちでは常に人の目を感じたという。それは子どもを安心して外で遊ばせられる良さでもあった。世が郊外型団地ブームに沸く中、エアポケットのようなまちは、建築の専門家たちにとって瞠目(どうもく)すべき発見だったに違いない。

 聞き取りの記録には住民の微妙な心境も。「これ(アンケート用紙)を市や県に見せるんじゃなかろうの」と議論を誘うおじさんがいた。「高層アパートには入りたくないですねえ。改築して永住したいです」という家内縫製業のおやじさんもいた。「疲れるでしょう。そんなに気を使いながら寸法を測って」と気の毒がられたこともある。

 今再び変貌を遂げつつある基町地区の在り方に、一石を投じる一冊でもあろう。(特別論説委員・佐田尾信作)

あけび書房・2200円

(2021年8月8日朝刊掲載)

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