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社説・コラム

『言』 ヒロシマに学ぶもの 手を携え住民の健康守る

◆馬場有・福島県浪江町長

 福島第1原発事故で全住民が古里を追われた自治体の一つが福島県浪江町だ。被爆地との連携を求めて、馬場有町長(63)が6日に広島市の平和記念式典に出席する。脱原発の訴えを復興ビジョンに明記し、町民一人一人が自らの状況を記録する「放射線健康管理手帳」を導入するなど、独自の姿勢が際立つ。同じ福島県の二本松市にある仮の役場を訪ね、思いを聞いた。(論説委員・岩崎誠、写真も)

 ―原発事故から1年4カ月以上が過ぎました。町と住民の現状はどうでしょう。
 全町避難の窮状は変わりません。町民2万1千人のうち県外避難が7千人。しかも620市町村に分かれています。学校や仕事もあって既に住民票を移した人も少なくありません。

 ―戻る見通しはまだ立たないということなのですか。
 東京電力の賠償問題はある程度の展望が見えてきましたが、肝心の除染が発注側の国の都合で遅れています。線量が低下しても、ライフラインやインフラの復旧はまだ。住民の健康管理の問題もあります。

 (一部地域で帰還準備に入る)避難区域再編の話もありますが、国が浪江の復興と再生にどう取り組むか明確に示すのが先。でないと地域が分断されるだけです。

    ◇

 ―町民の絆が失われつつあると、さぞ心配でしょう。
 町のアンケートで浪江に戻らないとした人が3割いました。分析すると若い親御さんが多い。子どもの将来や健康を考え、放射線量の低い地域で暮らすというのです。しかし同じ町民ですから地元で同じ行政サービスを提供するのが理想。復興を果たすまで「仮の町」をつくって戻ってもらう受け皿とし、絆をもっと強めたい。

 ―町は住民の健康不安に正面から向き合っていますね。
 原発事故後、町民が知らずに放射線量が高い方へ避難したのが大きな理由です。「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が活用されなかったためです。いらざる被曝(ひばく)をしたため不安は特に強い。医療の問題をきっちりやらないと禍根を残します。

 ―具体的にはどんなことを。
 一つはホールボディーカウンターによる内部被曝検査です。県に掛け合っても装置を回してくれないので町費で買いました。それと全町民への手帳配布です。実は差別につながりかねないと心配する声もあったんですが、住民の安心とともに万一の際、被曝していたことの証明になると思い決断しました。

 ―手帳をどう生かしますか。
 これを出発点に、原発事故の被災者全ての検査費や医療費について国が責任を持つ法整備につなげたい。国策として原発を動かしてきたわけですから。

    ◇

 ―広島でも粘り強い運動の末、国の責任による被爆者援護制度ができました。手を携える意味もそこにあるのですね。
 被曝した同士、心を一つにできると思うんです。ご指導を仰ぎ、手帳の在り方も勉強したい。そして素晴らしい復興を遂げた街を見て、浪江再生への手掛かりと力にしたい。

 ―4月に町がまとめた復興ビジョンは脱原発の訴えとともにエネルギー自給自足のモデル地域を目指すと宣言しました。
 電力は自分たちで賄うつもりでやりたい。大学の先生の提案も生かし、太陽光やバイオマス、小水力発電を活用します。津波で塩分の入った農地にソーラーパネルを置き、売電収入を地主に戻す手もあるでしょう。

 ―3・11までは浪江町も原発推進の立場でしたね。
 かつて町議会は東北電力の原発誘致を決議し、事故後の白紙撤回まで方針を踏襲してきました。地権者の反対で実現しなかったのが今思うと幸いしました。私も町長になる前は自民党県議。推進派でした。安全神話が完全に崩れたことで思い直し、原発はモンスターのようなものと受け止めています。

 ―百八十度の転換ですね。今では政府の原発再稼働の動きも批判し、あちこちの反原発集会にも参加されています。
 町内では電力関係の方が「少し言い過ぎでは」と感じているかもしれませんが、「言いたいことを言ってくれる」という人がほとんどです。あれだけの事故が起きたのですから。

ばば・たもつ
 東北学院大卒。酒類販売業の傍ら福島県浪江町議に。町議会議長、県議(自民)を経て2007年、町長に初当選。原発事故後の昨年12月に無投票再選された。今は役場機能とともに二本松市に避難。国や東京電力への鋭い批判ぶりでも知られる。5日から広島入り。広島市の式典や原水爆禁止世界大会に出席するほか、被爆者団体との交流や松井一実市長との会談なども予定する。

SPEEDI 情報は届かず 危ない方へ避難

 原発事故の直後、浪江町は情報不足による大混乱に陥った。

 安全連絡協定があるはずの東京電力からは何の音沙汰もない。国の指示もテレビで官房長官会見を見るだけ。事故翌日の3月12日には町役場から27キロ北西に離れた津島支所に役場機能をとりあえず移すことにし、多くの住民が一緒に避難した。

 しかし、そのころ同じ方向に事故現場から高濃度の放射性物質が拡散していた。わざわざ危ない地区に逃げて被曝したことになる。それを予測したはずのSPEEDIのデータは国からも県からも伝わることはなかった。

 国・県の刑事告発も検討したという馬場町長は4月の国会事故調査委員会で参考人として出席し、真相究明を強く求めた。浪江町が今も国などの被災者対策に不信感を抱く背景となっている。

町独自の「放射線健康管理手帳」 長期スパンで住民フォロー

 原発事故の被災者は生涯にわたって健康不安を抱き続けるはずだ。なのに国の対応は鈍すぎる―。浪江町が配布を決めた「放射線健康管理手帳」は、そんな危機感から生まれた。被爆者健康手帳を一つのモデルとする。

 昨年末から具体化し、町は900万円の予算を投じた。近く町民に届ける手帳は42ページと分厚い。町の責任で継続的に実施する甲状腺検査や内部被曝検査をはじめ、あらゆる健康診断の結果を10年のスパンで記録する。

 自分がどのように避難し、行動してきたか書き残す欄もある。何かあった時に、政府や東京電力に突きつける証拠にもなる。

 交付対象は「昨年3月11日に浪江町域に住所を置いていた者と胎児」。事故後どこに移り住んでもフォローする、との意気込みがうかがえる。

 準備の中心になってきた紺野則夫健康保険課長は「まず自分できちんと手帳に書いてもらうのが第一。避難先に出向いて説明会も開きたい」と言う。

 ただ手帳を持つだけでは健康管理の域を出ない。一方で生活の基盤を失った被災者は医療費が重くのしかかる。福島県は18歳以下を無料化するが、大人は対象外で全国的な救済の網もかからない。

 手帳交付を前にしたこの6月、町は厚生労働省に要望書を提出した。「被爆者手帳と同等」の法整備を求めるためだ。町民だけでなく全ての原発事故被災者について、医療費無料化や全国どこにいても専門的な検査が受けられる体制づくりが必要と訴えた。

 しかし現時点では国側の腰は重いという。

 浪江町は当初、同じ双葉郡8町村で統一して手帳配布したい意向だった。足並みはそろわず、原発城下町だった双葉町が賛同しているだけだ。被爆地の広島・長崎の協力と支援に加え、地元での運動の広がりが鍵を握る。

(2012年8月1日朝刊掲載)

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