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核兵器はなくせる 第2章 南アジアの冷戦 <2> 「11・26」の衝撃

■記者 林淳一郎

テロが招く軍事緊張 「恐怖の均衡」に依存も  昨年11月26日、インド最大の都市ムンバイはイスラム過激派の標的となった。駅が襲われ、アラビア海に臨むタージマハルホテルが炎を噴き上げる。日本人1人を含む165人が犠牲になった。

 3カ月近く後に現地を訪れると、観光客が群れ、惨劇はまるで別世界だったかのよう。だが、にぎわう街で、地元ジャーナリストのジャティン・デサイ氏(53)がまゆをひそめた。「あのとき誰もが最悪の事態を恐れたんだ」

 インド政府は当初から、パキスタンのテロ組織による犯行と主張した。パキスタン軍情報機関の関与もささやかれた。12月中旬にはインド空軍機がパキスタン領空を侵犯。軍事衝突かと一気に緊張が走った。

 国際社会が乗りだしてきた。ライス米国務長官(当時)、ブラウン英首相…。各国の要人が相次いで南アジアを訪れ、仲裁に駆け回った。「インドとパキスタンが核戦争を始めるのではないかと、世界が危ぶんでいる証拠だよ」とムンバイの平和運動家スクラ・セン氏(59)が解説する。

 そんな懸念をよそに、当事者間ではむしろ、核兵器の存在と脅威を肯定的にとらえる考え方がある。

 例えばセン氏は皮肉交じりに指摘する。「インド政府は核兵器は両国に安定をもたらしていると考えているに違いない」。パキスタンの首都イスラマバードで会った国防大の教官アブドゥル・ラフマーン氏(36)=国際関係論=も分析する。「政府も国民も、核兵器が軍事バランスをとり、全面戦争を防ぐ効果があると信じている」

 インドの国土はパキスタンの約4倍。ストックホルム国際平和研究所(スウェーデン)によると、軍事支出は2007年時点で5.6倍の開きがある。その差を埋めるのが核の力というわけだ。

 「日本は核兵器を持っていなかったから米国の原爆投下を許した-。そんな見方がパキスタンにはある。多くの国民は核の被害を知らず、広島も長崎も遠い国の話なんだ」

 ラフマーン氏は2007年までの4年間、広島大に留学した。帰国後、映画「はだしのゲン」を学生たちと鑑賞するなど、核兵器に頼らない平和を説く。

 「結果的に戦争に至らなかったのは核抑止の効果とみる人もいるだろう。でもそれは…」。テロと核戦争との間で揺れる危ういバランスをラフマーン氏は「常に危険と背中合わせのネガティブピース(消極的平和)」と呼ぶ。

(2009年3月21日朝刊掲載)

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