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連載・特集

核兵器はなくせる 第2章 南アジアの冷戦 <4> 現実と理想

■記者 林淳一郎

廃絶一転 開発を加速 隣国へ対抗 「力」選択

 「インド共和国記念日」の1月26日。ニューデリーを貫く大通りは、軍事パレードを見守る群衆であふれた。

 午前10時すぎ、核弾頭を搭載できる弾道ミサイル「アグニ3」が姿を現した。射程3000キロ以上。中国の一部主要都市にも達する能力を持つ。その威容にコンピューター技師アロク・パントさん(35)は「インドにはパワーがある。誇りだ」と声を弾ませた。

 2月中旬、インド政府は2009年度予算案を発表した。国防費は約2兆6780億円。前年度比34%増と過去最大の伸びだ。

 隣国パキスタンの首都イスラマバード。国防大のペルバイズ・チーマ教授(68)=国防政策=は「インド、国防費を大幅増」の見出しが躍る新聞の切り抜きを手に語気を強めた。「インドは経済的にも軍事的にもパワフル。超大国入りを目指し、核兵器は力の源と信じているんだ」

 しかし一方で、インドは核兵器の廃絶を世界にアピールしてきた歴史を持つ。

 「建国の父」ネール首相は1957年、広島市の平和記念公園で演説し「原水爆禁止」を訴えた。東西冷戦期の1988年にはラジブ・ガンジー首相が国連総会で「核戦争は1億人の死、あるいは10億人の死を意味するものではない。40億人の消滅を意味する」と演説。2010年までに世界の核兵器を廃絶に向けた行動計画をつくろうと呼び掛けた。

 ところが舌の根も乾かぬうちに、インドの核開発は加速する。ガンジー首相自身が指示したといわれている。なぜだろうか-。

 「インドの訴えに世界が応えなかったからだよ」。ニューデリーのインド防衛問題研究所で、ラジブ・ナヤン上級研究員(38)が解説した。「世界に核軍縮の流れをつくる、もしくは核開発の道を探る。この2つの選択肢があったけれども、結局は後者を選んだんだ」

 北隣の中国は核保有国であり、西隣のパキスタンも秘密裏に核開発を進めていた。包括的核実験禁止条約(CTBT)など国際的な枠組みづくりは停滞していた。そうしてインドは1998年、ほぼ四半世紀ぶりの核実験に踏み切った。

 「だって主権国としての権利でしょう」。ニューデリーのインド人民党本部で、プラカシュ・ジャバデカル上院議員(58)はそんな経緯を肯定する。核実験時の政権与党だ。

 「われわれも平和を望んでいるし、軍隊もない方がいいと思う。でもそれは理想論だよ」と言い切った。

(2009年3月23日朝刊掲載)

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