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連載・特集

核兵器はなくせる 第3章 モンゴルの挑戦 <4> ヒロシマ・ルーム

■記者 吉原圭介

被害訴えNGO整備 学内1年間 常設展示

 首都ウランバートルのモンゴル国立大に、「ヒロシマ・ルーム」と名付けられた教室がある。2号館の3階。日曜日に訪れると、女子学生が1人で自習していた。

 日本語で話しかけてみたが通じない。案内してくれた日本語学科の講師バトジャンツァン・ヒシグデルゲルさん(33)は「ほかの学科の学生でしょう。この部屋は暖かいから使っているのよ」と説明する。

 教室入り口の英文プレートは、広島の非政府組織(NGO)「アジアの花たば」の協力で整備されたと紹介する。黒板横には秋葉忠利広島市長のメッセージも掲げてあった。

 ヒロシマ・ルームの設置は2005年6月。その10年ほど前から草の根交流を続け、モンゴルを訪れるたびに原爆展を開いてきた「アジアの花たば」の小川順子代表(64)が大学側に提案した。既存教室の改造費用30万円強も花たば側が負担した。

 真冬には氷点下40度を下回る気候に配慮して窓枠を替えた。照明も新しくした。立ち上るきのこ雲の写真や被爆者が描いた絵など広島の原爆被害について展示し、着物なども飾って日本文化を紹介した。

 ところが1年ほどで展示品は倉庫にしまわれ、今では年数回、この教室に並べられるだけとなった。大学側が「学生の精神状態によくないし、教室が足りない」などの理由で常設展示は取りやめたのだという。

 「ウラン資源が豊富なモンゴルの人たちに、放射線の恐ろしさを知ってもらいたかった。特にこれから国を担う若い人に…」と小川さんは寂しさをにじませる。ヒシグデルゲルさんも「この大学には多くの地方の学生が集まっているから、モンゴル全土に知識が広がる可能性がある。少なくとも何も展示されない状況にはならないよう頑張る」と話す。

 ヒロシマを広めようと努める学生もいた。国立医科大5年バートル・ノムンダリさん(22)。2003年春から1年間、廿日市市にある山陽女学園高に留学した。今年9月に小川さんたちがウランバートル市内5カ所で計画する原爆展を手伝う。

 「広島に原爆が投下されたこと、折り鶴の佐々木禎子さんのことはテレビなどで見て知っていた。でも広島で触れた被爆者の写真は想像以上に痛々しかった。それまで知識があっただけで、理解していたわけではないと気づいたんです」

 ノムンダリさんは医師の卵としても、放射線の人体影響に正面から向き合わなければならないと考えている。

(2009年6月5日朝刊掲載)

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