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連載・特集

核兵器はなくせる 第4章 特集・ 「標的」なき欧州核

■記者 金崎由美

 英国とフランスは今なお、原子力潜水艦に核兵器を積んで沿岸海域をパトロールしている。米国の戦術核が配備された北大西洋条約機構(NATO)諸国の空軍は、戦時に核爆弾を投下する任務を解かれていない。それぞれの核は、いったいどこに照準を向けているのか。東西冷戦期の思考から脱却できず、「時代錯誤」にも映る欧州核の現状をみる。

NATO  大幅削減 200個配備

 米国の「B61」は自前の推進力を持たない重力爆弾。NATO域内の配備先は、クライネ・ブローゲル(ベルギー)フォルケル(オランダ)ビュッヘル(ドイツ)ゲディ・トーレ(イタリア)の4空軍基地とみられ、アビアノ(イタリア)インシルリク(トルコ)の両米軍基地にもあるとされる。

 威力が0.3~170キロトンの幅で調節できるのがB61の特徴。F16やトーネード戦闘機に載せる。大陸間弾道ミサイルなどに搭載される「戦略核」に対し、「戦術核」と呼ばれる。

 NATO加盟国への米国の核配備は1954年の英国が最初。その後、核地雷、核砲弾、短距離弾道ミサイルなど多様な核兵器が持ち込まれ、ピーク時の1971年には推定約7300個。米欧の集団防衛戦略に組み込まれていた。

 しかし、冷戦崩壊とともに戦術核は存在根拠を失う。1991年9月、ブッシュ米大統領は非戦略核の大幅削減を表明。カナダ、ギリシャ、英国からは全面撤去され、現在、NATO域内にあるのは推定200個前後のB61だけとなった。

 第1次戦略兵器削減条約(START1)などは米ロ間の取り決めであり、欧州を交えて核軍縮を進める地域的な枠組みはない。NATO核の完全撤去は「時間の問題」との楽観論がある一方、ロシアを警戒する旧共産圏のNATO加盟国を説得する必要性も指摘されている。

全米科学者連盟 ハンス・クリステンセン氏に聞く

 欧州の核兵器事情に詳しい全米科学者連盟(米ワシントン)のハンス・クリステンセン氏(48)に、現状の課題と今後の展望を聞いた。

 欧州に戦術核を配備し続ける軍事的な理由はとうになくなり、政治的な正当性も薄れている。非核兵器保有国の空軍に核攻撃の任務を与えることは、核拡散防止条約(NPT)上も大きな問題だ。

 戦術核のB61を撤去すれば、大量の非戦略核を保有するロシアへの軍縮圧力となる。削減に消極的なロシアはその理由として、米国がNATOに配備している戦術核の存在を掲げているからだ。

 撤去の妨げとなっているのは、NATO内部の「官僚制」だろう。核政策の関係者が自らの領分を守るため、真剣な議論の機会を避けているにすぎない。軍事的には、撤去してもまったく変わらない。

 一方で予算上の理由から、NATO加盟国が現実的な検討を迫られる時期が近づいている。

 B61は古い兵器。劣化を防ぐには、数年後に寿命延長措置(LEP)を施す必要があり、これは膨大な予算を伴う。各国の戦闘機も徐々に更新時期を迎える。新しい戦闘機を改修して核爆弾を装着できるようにするかどうかも決めなければならない。(談)


英国  新型原潜の建造計画

 スコットランド南西部ファスレーンにあるクライド海軍基地は、射程7400キロの核弾道ミサイル「トライデント2」を搭載するバンガード級原子力潜水艦4隻の母港。英国唯一の核戦力の本拠地である。

 なだらかな山に囲まれ、複雑に入り組んだ地形のため波穏やかなクライド湾に基地はある。湾を挟んだ西岸にはカルポート弾薬施設があり、敷地の一部が核弾頭の管理エリアとされる。

 一帯では2006年9月から1年間、施設入り口を封鎖する運動「ファスレーン365」が展開された。国内外から平和活動家が押し寄せ、逮捕者は千人を超えた。

 地元のジェーン・タレンツさん(50)は運動のリーダーの一人で、地元で反核運動にかかわって25年になる。「私を追い払う側の人たちとも顔見知りよ」と笑いながら、カルポートの入り口を守るガードマンにも核兵器廃絶を説いていた。

 「新たに潜水艦を造れば、英国は2050年代まで核兵器を持ち続ける環境ができる。この国に安全をもたらさない兵器をなくすには、これから数年間が正念場」とタレンツさん。

 4隻の潜水艦は2024年から順次、寿命を迎えるため、政府は更新計画を進めている。2014年ごろには新型艦の建造を始める方針だが、平和団体や国会議員らは激しく反発。スコットランド自治政府を率いる少数与党のスコットランド国民党も、地域の非核化を政策に掲げている。

英上院議員 デビッド・ラムズボタム氏に聞く

 英国軍幹部だった3人が今年1月、タイムズ紙に連名の提言「英国に核抑止力は不要」を寄せた。核軍縮を理念的に提唱するだけでなく、現実的な観点から自国の核兵器保有にも切り込んだ主張として内外に波紋を広げた。その一人、上院(貴族院)議員のデビッド・ラムズボタム氏(74)に狙いを聞いた。

  ―提言を発表したきっかけは。
 3人で長い間、共有してきた考えを発表し幅広い国内議論を促したかった。(核ミサイルの)トライデント更新をめぐっては2007年3月、下院(庶民院)が賛成多数で可決した。しかし上院には機会がなかった。まず両院で関心を高めなければと考えた。

 深刻な経済危機に見舞われた英国は、国防予算のあり方を真剣に話し合うべきだ。トライデント更新は、潜水艦建造に膨大な予算を伴う。役立たずの兵器に国防費が浪費され、必要な分野に回らなくなることを深く懸念している。

 世界の紛争予防や紛争後の復興支援など英国が貢献してきた分野への予算が削減されると、その目的が遂行できないどころか、危険な任務に就く兵士らの人命にもかかわる。

 ―「核兵器のない世界」を提唱するオバマ米大統領の誕生とも関連していますか。
 もちろんだ。キッシンジャー氏ら米国の元政府高官らが「核兵器のない世界」を呼びかけ、英国でも元外相らが昨年、同様の提案をした。さらなる流れをつくるべきだと思った。

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議を1年後に控えた時期でもある。軍縮、不拡散をリードすべき英国が、ほかの国には軍縮を求めながら「わが国は核戦力を刷新します」では説得力を持ち得ない。

  ―反響をどう受け止めていますか。
 テロなど21世紀の新しい脅威に、核兵器はまったく役に立たない。そもそも、独自の核戦力の保持という大義名分が幻想だ。英国は技術、政策とも米国に依存し、自力でミサイルや弾頭の開発をしていないし、使用の判断も独自にできないのだから。

 ただ、直ちにすべてをなくせとの主張ではない。日本とオーストラリアの元外相が共同議長を務める「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」が現実的な軍縮提案をどう打ち出すか注目している。

  ―英国の景気が上向けば廃絶論議はしぼむ可能性はありますか。
 国防予算の優先順位がゆがんでいる。経済が上向けば解決するような問題ではない。私たちに核兵器は本当に必要なのか、という本質的な議論につなげなければならない。

  ―英国が真っ先に核兵器保有をやめることができるでしょうか。
 あり得ると思う。中国やインド、ブラジルが台頭するにつれ、大国だった英国の立場は相対的に変化してきている。現実と向き合い、「われわれが本当に持つべき物」に思いをめぐらせば、一番早く核兵器をあきらめる可能性はある。

デビット・ラムズボタム氏(David・Ramsbotham)
 ケンブリッジ大卒。北アイルランド、旧西ドイツなどでの従軍経験を経て1993年、陸軍大将で退役した。国連や世界銀行による紛争後の復興支援業務に携わった後、2005年から貴族院議員。無党派。


フランス  ミサイル・弾頭 更新の動き

 フランスは約300の核弾頭を保有する。核戦力の主力は3隻のトリオンファン級原子力潜水艦。1隻で射程4千キロの弾道ミサイル「M45」を最大16基まで積むことができる。2010年に4隻目の「テリーブル」が加わる予定だ。

 航空戦力は、ミラージュ戦闘機が約50機と、空母シャルル・ドゴールの艦載機シュペル・エタンダールが約10機。それぞれ、核弾頭「TN81」を装着した巡航ミサイル「ASMP」を搭載できる。

 サルコジ大統領は昨年3月、地上配備の航空核戦力を約3分の1減らすと表明した。一方では海空とも、ミサイルと弾頭の更新計画を進めている。量は減らしても質的向上を図る方針とみられる。

 米国や旧ソ連、さらに英国に追いつこうと急ピッチで独自の核開発を進めたフランス。1960年、当時フランス領だったアルジェリア・サハラ砂漠で最初の大気圏核実験に成功し、68年には南太平洋のフランス領ポリネシアで水爆実験をした。

 これらの実験は軍人や地元住民の健康被害という「負の遺産」をもたらし、その解決は大きな政治課題に。被災者から相次ぎ提訴された政府は今年5月の閣議で、核実験被害者補償法案を承認した。

<欧州と核兵器>

1943年 8月 英国の科学者が米国の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」に参加

1945年 5月 ドイツが無条件降伏

1948年 6月 ソ連がベルリン封鎖を開始

1949年 4月 北大西洋条約機構(NATO)が成立

1949年5月 西ドイツ発足

1949年10月 東ドイツ発足

1950年 4月 英国がオルダーマストンに原子兵器研究施設を設置

1952年10月 英国がオーストラリアで初の原爆実験

1954年 9月 米国が英国に戦術核を配備

1955年 5月 西ドイツがNATO加盟▽ワルシャワ条約機構が成立

1957年 5月 英国が太平洋のクリスマス島で初の水爆実験

1960年 2月 サハラ砂漠でフランスが初の核実験

1961年 8月 東ドイツがベルリンの壁を建設

1966年 3月 フランスがNATO軍事機構からの離脱を公式発表

1967年10月 NATO本部がフランス・パリからベルギー・ブリュッセルに移転

1968年 7月 核拡散防止条約(NPT)調印

1968年 8月 フランスがポリネシアで初の水爆実験

1970年 3月 NPT発効

1972年 5月 米ソが第1次戦略兵器制限条約(SALT1)、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約に調印

1979年12月 NATO理事会が、中距離核戦力(INF)の配備と削減交渉を同時に進める「二重決定」

1983年 3月 レーガン米大統領が戦略防衛構想(SDI)を発表

1983年10月 NATO核計画グループが戦術核を1400個削減することで合意(モンテベロ決定)

1983年11月 米国が西ドイツに中距離核パーシング2を配備。ヨーロッパで大規模な反対運動

1987年12月 米ソがINF廃棄条約に調印

1989年11月 ベルリンの壁崩壊

1989年12月 米ソが冷戦終結を宣言

1990年10月 東西ドイツ統一

1990年11月 NATOとワルシャワ条約機構の加盟国などが、欧州通常戦力(CFE)条約に調印

1991年 7月 ワルシャワ条約機構が解体

1991年 9月 ブッシュ米大統領が、欧州などの地上と艦船に配備する戦術核の撤去方針を表明

1991年11月 NATO首脳会議で、大幅な戦術核削減方針などを含む「戦略概念」を採択

1992年 2月 欧州連合(EU)発足

1992年 8月 フランスがNPT批准

1994年 4月 NATO軍がボスニア紛争で初の空爆

1996年 1月 フランスがポリネシア・ファンガタウファ環礁で核実験をしたうえで、実験の終結を宣言

1998年 4月 英国とフランスが核保有国で初めて包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准

1999年 3月 NATO軍がユーゴ空爆▽チェコ、ポーランド、ハンガリーがNATO加盟

1999年 4月 NATOが最小限の核戦力維持などを打ち出した「新戦略概念」を採択

2002年 2月 英国が米国と共同で臨界前核実験

2002年 5月 NATOとロシアが対話の場となる「理事会」を創設

2004年 3月 エストニアなど7カ国がNATO加盟

2006年12月 英国が白書「核抑止力の未来」でトライデント更新を明言

2007年 3月 英国下院がトライデント更新を支持する動議を賛成多数で可決

2007年 5月 「スコットランドの非核化」を掲げるスコットランド国民党が議会選挙で勝利、自治政府の与党に

2008年 3月 フランスのサルコジ大統領が保有核数を300個以下にすると表明

2008年 6月 フランスが国防白書発表。核抑止力の維持と同時に核軍縮計画も盛り込む

2009年 3月 フランスがNATO軍事機構への復帰を宣言

2009年 4月 クロアチア、アルバニアがNATOに加盟▽NATO60周年

2009年 5月 フランスが核実験被害者補償法案を閣議決定

(2009年6月13日朝刊掲載)

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