×

連載・特集

特集・核兵器はなくせる 第5章 清算にかさむ時間・金 フランス核関連施設の解体ルポ

■記者 金崎由美

 南フランス・マルセイユ近くで、ウラン濃縮やプルトニウム生産など核開発関連施設の解体作業を取材した。施設内部の撮影は禁じられたものの、作業をマスコミに公開するのはフランス国内の報道機関を含めても初めてという。それは、核拡散防止条約(NPT)が定めた軍縮義務を誠実に守っているとのアピールだろう。核兵器の保有数で米国とロシアに次ぐ世界3位のフランス。その現場で、「核」をめぐるこの国の論理を垣間見た。

 地中海に臨むマルセイユまで約150キロ。ブドウ畑が点在する地域にまず案内された。ウラン濃縮工場「ピエールラット」だ。敷地内には稼働中の原子力発電所もある。冷却塔が2本そびえ、水蒸気が上がっている。

 「フランス名物は三つある。ワインとチーズ、原発だよ」。原子力庁(CEA)の担当者フランソワ・ビュゴさん(50)が誇らしげに語った。  見学を許されたのは「ロープラント」と呼ばれるウラン濃縮初期段階の施設。1967年から1996年まで稼働し、天然ウランに0・7%しか含まれないウラン235を2~3%に濃縮していた。

 全長900メートルの細長い建物内は、圧縮機やガス拡散器などのプラントが取り外され、ほぼ空っぽ。資材を入れた白い袋だけが山積みされている。「撤去が進んだので、立ち入りが許可できるようになった」。機材の形状といった情報も、漏れれば技術拡散につながる恐れがあり、慎重を期しているという。

 さらに車で1時間南の「マルクール」へ。原発用のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料工場などがある280ヘクタールの広大な敷地の一角で、原子炉と再処理施設が解体中だった。

 高さ50メートルの建物は、何の変哲もない鉄工所のような雰囲気。しかし中に入ると、直径20メートル、長さ34メートルの巨大な筒状の原子炉に圧倒される。50~80年代に稼働した三つの黒鉛減速炉の一つで、発電しながら兵器用プルトニウムをためこむことができる。実際に近郊のアビニョン市へ送電し、人口10万人分の電力も賄っていた。

 冷却装置や熱交換器はすでに取り外されていたが、炉自体の解体は2020年までストップしている。法改正により、高レベル放射性廃棄物の処分場を新たに造るためだ。特に炉の中の黒鉛が強い放射能を帯び、慎重な扱いを要する。

 敷地内に、黒鉛炉の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すプラント「UP1」もある。フランス初の再処理施設として1997年まで稼働した。

 放射能汚染が激しい部分は遠隔操作で除去、浄化をしている。UP1の解体は、作業終了の2040年までに56億ユーロ(約7560億円)かかるという。

 解体はこのほか、三つの黒鉛炉に5億ユーロ(675億円)、ピエールラットのウラン濃縮施設には6億ユーロ(810億円)を投じる。核兵器開発の後始末は、これだけ膨大な金額と時間を費やす。

<解説>備蓄物質 規制なるか カットオフ交渉 保有国動向焦点

 核兵器を保有する5大国の中で、開発や製造に使った施設の解体・閉鎖に最も積極的なのがフランスだ。一連の取り組みは、核軍縮に向けた先進的な貢献姿勢にも思える。

 ところが―。高濃縮ウランやプルトニウムなど兵器用核分裂物質の生産をやめた理由を当局者に聞くと、こんな答えが返ってきた。「十分に備蓄できたからだよ。現在の量は言えないけれど」

 核の民生利用と表裏一体の形で軍事目的の開発を進めたフランスは1996年1月、南太平洋で核実験を行い、直後に実験をやめると宣言した。翌月にはプルトニウムなどの生産停止も宣言し、関連施設の解体、核実験場の閉鎖を打ち出した。今回公開したのは、この一端だ。

 兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)をめぐっては、ジュネーブ軍縮会議が長い間の意見対立を経て、今年5月に条約締結交渉の再開を決めたばかり。今後、各国の備蓄分にも規制の網をかけるか否かが交渉の焦点とみられ、フランスなど核兵器保有国の立場が問われるのは必至だ。

 フランス・リヨンの反核団体、平和・紛争研究文書センターのパトリス・ブブレ氏(53)は「フランスが核拡散の一端を担った歴史も忘れてはならない」と指摘する。マルクールの黒鉛炉3基のうち見学の対象外だった1基は、イスラエルの核兵器開発の舞台となったディモナと同型の炉とされる。

 核軍縮に貢献する姿勢は一定に評価できるものの、「持てる国」としての主張だけでは各国の理解は得られないだろう。核開発の「負の遺産」をどう解消するのか、カットオフ条約の交渉などを通じ、国際社会の対応も問われる。

(2009年6月26日朝刊掲載)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ