×

連載・特集

核兵器はなくせる 第6章 揺れる北東アジア <4> 非核の原則

■記者 吉原圭介、林淳一郎

日韓、問われる「国是」 「密約」や北朝鮮違反

 6月最後の土曜日の夜8時前、神奈川県横須賀市の繁華街で市長選の無所属新人候補がマイクを握った。「危険な原子力空母はいらない」「国や米軍にものが言える横須賀に」。支援者に囲まれ、選挙戦最後の訴えに声をからした。

 横須賀は、朝鮮戦争の停戦から間もない1953年10月、核兵器を搭載した米艦船(空母オリスカニ)が日本で初めて入港したことで知られる。1967年に佐藤栄作首相(当時)が国会で「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」の非核三原則を明言する14年前のことだ。

 米国は1991年、艦船から戦術核を撤去すると宣言。以来、市長選で「核の持ち込み」が取り上げられることはほとんどなくなった。だが基地の町のリーダー選びは今回、米原子力空母の母港化が争点の一つ。結局は涙をのんだこの無所属候補、呉東(ごとう)正彦弁護士(49)は指摘する。「原子力空母の危険性は高いのに、国は安全だという。横須賀は外務省に裏切られ続けてきた」

 「裏切り」とは、市長選の1カ月ほど前からあらためて浮上した「核持ち込みの密約」問題を指す。政府は一貫して米国との密約の存在を否定するが、元外務次官らが次々に「あった」と証言。今月10日には河野太郎衆院外務委員長=自民=も「あった」と認定するなど、非核三原則の国是は今、ぐらりと揺らぐ。

 一方、韓国にも「非核4原則」がある。(1)核兵器を開発・保有しない(2)透明性の原則維持(3)核不拡散の国際規範の順守(4)平和利用の範囲拡大-。国立研究所での微量なウラン濃縮実験が明るみに出たのを機に、政府が2004年に発表した。

 韓国にはさらに、1991年12月に北朝鮮と合意した「朝鮮半島非核化共同宣言」もある。核兵器の実験や製造、使用をはじめ、ウラン濃縮も禁じた宣言は、今も効力を失ってはいない。

 だが、その宣言を積極提案したとされる北朝鮮の側が堂々と、宣言破りを続ける。2006年10月と今年5月に核実験を強行し、6月にはウラン濃縮の着手も表明した。

 「北朝鮮の違反行為は我慢ならん。こちらから宣言を破棄する段階にきている」。野党である自由先進党の趙舜衡(チョスンヒョン)議員(74)は憤まんやるかたない口ぶりだ。「韓国の核武装について議論することを考えてもいい」

 非核をめぐる原則や宣言は確かに、「国是」だとしても法や条約ではなく、実効性の担保は当事者任せとなりがちだ。法制化などで強化を図るのか、なし崩しを容認して核と共存するのか、日韓双方が問われている。

(2009年7月14日朝刊掲載)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ