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連載・特集

ヒロシマ精神養子 第1部 日米・親と子の手紙から <3>

■特別取材班 田城明、西本雅実

プレゼント 心の交流にはずみ

 日本中が物不足の時代。広島戦災児育成所の子供たちにとって、精神親との最も確かな触れ合いは手紙と同時に送られてくるプレゼントを通してであった。米東部の小さな州に住む未亡人と13歳の少年の往復書簡がその一端を物語る。

 《衣類を送りましたよ。防水加工を施した厚手のジャンパーは両面どちらでも着ることができます。こちらの子供は、寒い日にはこのジャンパーを着てドレスアップを楽しんでいます。次の手紙でクリスマスプレゼントは何がいいかを知らせて下さい。11月初旬までに品物を送らないと間に合わなくなるからね=お手伝い・26年8月29日付》

 《親愛なるお母さんへ。10月1日たしかに小包を受けとりました。この前の手紙に書いてあったジャンパーとシャツとセーターでした。日本は今、せんい類が非常に高く冬物に困っている時です。ジャンパーはとてもりっぱで裏表着られるようになっていて、日本では手に入らないよい品です=中学1年・26年10月1日付》

 カリフォルニア州の電気技士夫妻から毛糸などが届いた14歳の少女は弾む心をこうつづる。

   《私はうれしさのあまり小包のひもをとく手に力が入らず、お友達に手伝っていただきあけてみると、大好きな色の毛糸が一番にころげてまいりました。続いてかわいいお人形さんが目を大きく開けて出てきました。今年の冬には自分でセーターをあんで、着るのがとても楽しみです。着たら写真を写してお母さんにお送りします=中学2年・26年8月23日付》

 精神親からの小包や送金は、子供たちの誕生日やクリスマスに多かった。衣服、靴、野球道具、人形、、チョコレート、キャンデー。中にはカメラをもらった子供もいた。13歳の誕生日に25ドル(当時9千円)を受け取った少年は、オハイオ州の父母に感謝といたわりを込め記す。

 《こんな大金を送ってもらい、お父さんお母さんに何とお礼を申してよいかわかりません。51歳にもなられ、鉄道の仕事をしておられるお父さんには大変すまなく思っています。1年間にどのぐらいの費用がいるのかと心配されていますが、私はただ、1人ぼっちの私のお父さんお母さんになっていただけただけでうれしいです=中学1年・27年2月25日付》

   親からのプレゼントに対して子供たちの幾人かは、ためた小遣いで小さな品物を買って送った。「母の日」のために修学旅行先の京都で買ったというハンカチを手にしたニューヨーク州に住む母親は、娘に最大限の喜びを伝える。

 《今日は航空便で手紙を送ります。私がどんなに喜んでいるかを一刻も早く知ってほしいからよ。あなたがこんなに離れていても母の日を覚えていてくれるなんて感激です。手紙と一緒に届いたハンカチ、とってもきれいなので私の宝物と一緒にガラス棚に飾っています。娘からのプレゼントをわが家の訪問者に褒めてもらわなくてはね=主婦・26年4月30日付》

 親子のこまやかな情愛は、贈り物によって一段と深まり、それがまた手紙の数にも反映した。一方で、プレゼントがほとんど届かない子もいた。こうした子供たちにとって友達への小包は、むしろせん望と寂しさを呼び起こした。


27年の賃金と物価
 小学校教員の初任給5,850円。国家公務員上級職初任給7,650円。アンパン10円、映画館入場料80円。1級ウイスキー(720ミリリットル)780円。百科事典(全26巻)17,160円。

(1988年7月15日朝刊掲載)        

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