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連載・特集

『生きて』 前広島市長 平岡敬さん <16> 

■編集委員 西本雅実

陳述 原爆裁判の取材生かす

 1995年11月7日、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で陳述する

 僕は被爆者じゃない。だから広島の人間として身近に起きた体験や触れた思いを全部込めた。妹同然だったいとこの死と叔母の嘆き、200人を超す同級生が建物疎開作業に動員され死んだ妻の記憶、新聞社で同じ部屋にいた北山二葉さん(1980年死去)が残した痛切な手記…。そして「ハーグ陸戦条規」などを引き、大量破壊兵器が近代ヨーロッパから起こった国際法に反していることを述べた。あれは「原爆裁判」を記者時代に取材した知識が生きた。

 被爆者5人が国を相手取った損害賠償訴訟で東京地裁は(1963年に)請求は退けたが、「残虐な爆弾の投下行為は戦争法の基本原則に違反」とした。裁判記録を全部読んだのが頭にあり、ああした論理展開になった。

 胎内被爆した小頭症患者と家族の部分は、大牟田稔くん(中国新聞論説主幹から広島平和文化センター理事長。2001年死去)のアドバイス。(9月に)外務省が証言を認めてからぽつぽつ書き始め、(10月27~29日)出張した福島市の宿でまとめた。広島では夜も会合がありなかなか書けないからね。

 市民を大量無差別に殺傷し、今日に至るまで放射線障害による苦痛を人間に与え続ける核兵器の使用が国際法に違反することは明らか―と陳述。政府は「人道主義の精神に合致しない」と明言を避け、広島・長崎市長の発言は「独立したもの」と付け加えた

 僕の陳述を英語で同時通訳したのは曜子・タイヒラーさんという今もドイツに住む日本人女性。平和問題にもすごく熱心で素晴らしい通訳だった。14人の裁判官は真剣に聞いてくれた。でも翌年に出た判断は、ね。

 ICJは22カ国の口頭陳述などを経て1996年7月、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法違反」との判断を示したが、「国家存亡の中での自衛目的は違法か合法か下すことはできない」との勧告的意見を出した

 勧告は核を持つ国が仕切る国連の機関の限界だと思った。一般的であれ違法を認めたのは前進だが、「国家存亡」を言い出せば、どの国も使えることになる。抜け道を設けるべきではない。陳述をしたころからです。自分たちが「核の傘」の下にいながら非核を説く自己矛盾を強く意識するようになった。

 

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