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連載・特集

核兵器はなくせる 第10章 特集・中東の非核化なるか

■記者 吉原圭介

 中東の「核」問題は5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも主要議題の一つとなる。イスラエルとイラン、そしてエジプトを訪れてみると、いずれも市民は平和に暮らし、戦争を求める声は聞こえてこない。ただ、各国の歴史とパワーバランスに注目すると、核兵器の事実上の保有や開発疑惑につながる政治状況が見えてくる。核兵器のない中東づくりへの鍵はそこにある。

イスラエル アラブ諸国との緊張再燃

 首都エルサレムから西に約50キロ。建築様式などに欧州の影響がうかがえるテルアビブに各国は大使館を置く。人々が海辺で憩い、笑顔で街中を行き交う光景は、この国が中東の火種となっていることを忘れさせる。

 しかし、街の中心部には1995年11月に当時のラビン首相が暗殺された現場がある。リゾート地でもある海沿いには2001年6月の爆弾テロで亡くなった18人の慰霊碑が立つ。

 そして街角のあちこちで、徴兵された軍服姿の男女が小銃を肩に掛けて歩く姿を目にする。レストランやショッピングモールの入り口には銃を下げたガードマン。客一人一人のかばんを開け、安全確認をしている。郊外にある国際空港も、出入国検査の厳しさで世界に知られる。この国は常に臨戦態勢なのだ。

 国家を持っていなかったユダヤ人は、各地での迫害から逃れてパレスチナに民族国家をつくろうとシオニズム運動を起こした。1948年5月、イスラエルとして建国独立を宣言。これに対しアラブ諸国は強く反発し、4度にわたる中東戦争を繰り返してきた。

 イスラエルは、エジプトとヨルダンとは平和条約を交わした。だが、それ以外のアラブ国家とは敵対し、最近でもレバノンやパレスチナに対する攻勢を強めている。それがさらにアラブ諸国の不満をあおり、緊張は再燃しつつある。

イラン 核開発疑惑 国際社会と溝

 雪を冠したエルブルズ山脈のふもとに広がる首都テヘラン。1979年11月に起きた米大使館人質事件の現場は今、軍隊の一つである、革命防衛隊が使っていた。

 入り口に「DOWN WITH USA(米国をぶっつぶせ)」の文字。壁には自由の女神の顔を悪魔にした絵も描かれていた。政府系のビルの側壁に、ドクロマークと爆弾をデザインした巨大な星条旗も。

 ところが現地の人々は米国にあこがれの念さえ抱いているという。テヘラン大外国語学部の日本語講師清水直美さん(42)は「もし移住したい先を聞くと米国が一番でしょう。もともとイラン人は好戦的ではなく、核兵器なんか必要ないと考えている。反米や好戦的な印象は、一部の政治家からくるもの」とみる。

 イランの核開発疑惑は2002年8月、反体制組織のメンバーがウラン濃縮施設などを秘密裏に建設していると暴露したことに始まる。2007年末に米国は「2003年秋から核兵器開発計画を停止している」と発表したが、国連安全保障理事会や国際原子力機関(IAEA)との信頼関係は崩れたままだ。

 米国は今月、「核体制の見直し(NPR)」を発表し、北朝鮮と並んでイランに対する核使用の可能性を示唆した。反米姿勢を強めるアハマディネジャド政権が続く限り、対立の構図は変わりそうにない。

エジプト 70年代から訴え続ける

 国土の9割は砂漠だ。ナイル川のほとりに広がる首都カイロは、何列にも並んだ車で渋滞し、クラクションが鳴りやまない街。その間を縫うように人々が道路を横断する。

 「中東の雄」は今、物価も失業率も高く、経済状態の悪化にあえぐ。国家公務員の平均年収は20万円ほどという。

 エジプトは1974年、中東の非核武装化を目指した決議案を国連総会に提出した。だが、イスラエルの事実上の核保有が解消されない限り、実現の見通しは立たない。90年4月には、ムバラク大統領が核兵器を含む大量破壊兵器のない中東に向けた提案もしている。

 前回(2005年)のNPT再検討会議で最終合意文書が作られず、大失敗に終わった要因の一つがエジプトだとの指摘がある。イスラエルの核保有を議題にするべきだと執拗(しつよう)に迫った。今年のNPT再検討会議でも、あらためて中東の非大量破壊兵器地帯へ向けた取り組みの重要性を強調する構え。イスラエルへの国際的な圧力を求めるとみられている。


イスラエル国内で核保有の議論を呼び掛けた元国会議員 イサム・マフール氏に聞く

議論は世界の利益に

 イスラエル国会(クネセット)史上で初めて核問題を取り上げたのがイサム・マフール氏だ。2000年2月だった。国会議員を引退した今もパレスチナ和平などの研究を続けるマフール氏に、当時の様子や自国の今後について聞いた。

  ―国会で取り上げたのはなぜですか。
 核保有に反対する人がいても、それまでは国策に反する議題を国会で取り上げたことはなかった。国会で議論し、メディアが取り上げ、国民に問題を認識してもらうことが重要だと考えた。

 発言したのは3点だ。一つは、核問題への賛否がどちらであれ、議論さえしないのは民主主義に反する。二つめは、環境問題としても取り上げる必要があること。

 そして三つめは、政治、軍事、安全保障的観点。すなわちイスラエルの核兵器保有は、他の国も持とうとすることにつながる。イランのナタンツに核施設があるから、イスラエルがディモナに施設を造ったのではない。ディモナがナタンツの理由になったのだ。

 ―それから10年。変化はありますか。
 自国の核は安全保障のためとの考えは根強くある。だが、イランの脅威もあり、国民の意識は変わってきたのではないか。

 イスラエルは中東だけでなく世界にとって「核の危険」の中心にある。オバマ米大統領はイランや北朝鮮を批判するが、イスラエルに言及しないのは偽善ではないか。イスラエルがNPTに入っていないこと自体が罰を与えられるべきだ。

 ―今年のNPT再検討会議をどう展望していますか。
 イスラエル問題には触れないとの「二重基準」は一掃しなければならない。イスラエル問題の議論は世界の利益につながる。

 ―イスラエルは核兵器を放棄しますか。
 中東を非大量破壊兵器地帯にする構想は、イランを含め多くの国が賛同するだろう。イスラエルだけが例外。自分だけが核を持ち、他が持っていないのが理想だから。

 この姿勢を転換させる可能性が一つある。他国が保有する脅威を利用することだ。周辺国がイスラエルに理性的な対応を促すことにより、核競争ではなく、中東から核を無くすための交渉を始めなければならない。核は、米国だけ、イスラエルだけ、日本だけの問題ではない。人類の問題だ。

イサム・マフール氏
 1952年生まれ。1999~06年、国会議員を務めた。2007年から民間シンクタンクの「エミール・ツーマ」パレスチナ・イスラエル研究所会長。


<中東の主な出来事>

1948年 5月 イスラエル独立宣言▽第1次中東戦争
1956年10月 イスラエル軍がエジプトに侵入。スエズ戦争(第2次中東戦争)開始
1960年 7月 イランがイスラエルを承認▽アラブ連合、イランとの国交断絶
1967年 2月 レバノン紙が、イスラエルが前年後半に地下核実験実施と報道
       6月 第3次中東戦争▽国連安保理が即時停戦を決議。イスラエルはアラブ連合の受諾
          を条件に受諾▽アラブ連合も停戦決議を受諾
1969年 1月 米放送局が「イスラエルはすでに核兵器保有か近く保有」と報道
       4月 アラブ連合のナセル大統領がイスラエルが核兵器開発すればアラブ連合も核武装
          すると言明
       8月 同大統領が「中東危機は大国調停で解決できない段階となった。アラブは力でイス
          ラエルを武力解放せよ」と演説
1970年 6月 イスラエル空軍がアラブ連合を爆撃
       7月 米紙が、イスラエルはすでに核兵器を保有しているか、あるいは短期間に製造でき
          る段階にあると報道
       8月 アラブ連合とイスラエルが停戦▽イランとアラブ連合が外交関係再開を発表
1972年 5月 エジプトのサダト大統領が「イスラエルを破るため100万人の犠牲を出す覚悟」と演
          説
       7月 同大統領が米国のイスラエル支援を非難
1973年10月 第4次中東戦争
      11月 エジプト、イスラエルが停戦合意文書に調印
1974年11月 国連総会第1委員会が、イランとエジプトが共同提案していた中東非核武装化決議
          案を賛成多数で採択
      12月 英科学誌がイスラエルはすでに核を保有と報道
1976年 3月 米紙がイスラエルは実戦に使える核弾頭10~20個保有と報道
1977年12月 中東和平準備カイロ会議
1978年 9月 中東和平をめぐる米、イスラエル、エジプト3国首脳会談
      12月 エジプト・イスラエル平和条約の締結期限切れで両国が相互に非難合戦
1979年 2月 イラン暫定政府がイスラエルとの国交断絶を発表
       4月 イスラエル閣議がエジプトとの平和条約を承認▽イランがエジプトと断交、エジプトも
          断交
      11月 イランの学生がテヘランの米大使館を占拠
1980年 1月 エジプト、イスラエル両国が国交正式樹立
       6月 米政府がパレスチナ自治に関するイスラエル、エジプト、米3国交渉の再開で3国
          が合意したと発表
       9月 イラン・イラク戦争
      10月 イスラエルが国連総会で中東に非核地帯を設置するための国際会議開催要請の
          決議案提出
1981年 2月 エジプト国民議会がNPT批准
       9月 IAEA年次総会で、イスラエルのイラク原子炉爆撃を非難する決議を採択▽ワルト
          ハイム国連事務総長がイスラエルはすでに原爆20個分の核物質を獲得し、10年
          前に核兵器保有国の域に達したと報告
      10月 イスラエル外相が国連総会で中東非核地帯設置条約の締結を提案
1982年 4月 イスラエルがシナイ半島をエジプトに全面返還(15年ぶり)
1986年10月 イスラエルの元技師モルデハイ・バヌヌ氏が同国の核兵器開発を暴露
1991年11月 イスラエル軍機がレバノン南部の親イラン派民兵組織拠点を空爆
1995年 2月 イスラエルのペレス外相が国連安保理でNPTに加盟しないとあらためて表明
       5月 NPT再検討会議は全会一致でNPT無期限延長を決定
1997年 6月 IAEA事務局長にエジプトのモハメド・エルバラダイ氏
2000年 5月 NPT再検討会議が米、ロシアなど核保有5カ国が初めて一致して核廃絶を明確に
          約束する最終文書を全会一致で採択
2002年 8月 イランの反体制組織がワシントンで記者会見し、国内2カ所で核施設の建設が進ん
          でいることを暴露
2003年 2月 イランのハタミ大統領がウラン鉱脈が見つかったため抽出用の工場を建設したと述
          べる。平和利用目的を強調▽IAEAのエルバラダイ事務局長が核施設視察のため
          イラン入り
       5月 イランがIAEAにプルトニウム生産可能な実験用重水炉の建設計画を通知
       7月 英通信社が、IAEAがイランで採取した環境サンプルから高レベルの濃縮ウランが
          検出されたと報道
      10月 イランのハタミ大統領が英独仏の外相と会談。IAEA追加議定書の調印・履行や、
          ウラン濃縮と再処理の活動停止などを決めた(テヘラン合意)
     1 2月 イランがIAEAの追加議定書に調印(未批准)
2004年 1月 イランがエジプトと25年ぶりに国交を全面回復することで合意
       2月 イスラエル紙電子版が米国で出版された防衛に関する書物を引用し、イスラエル
          が保有する核弾頭数がこれまで報じられてきた約200個よりも少ない82個と報道
      11月 テヘラン合意に反してイランがウラン濃縮関連活動を行ったため、英独仏は再び交
          渉。地域の安全保障などに関する交渉が継続している間は濃縮活動も再処理活動
          もしないと申し合わせた(パリ合意)
2005年 5月 NPT再検討会議が事実上決裂、実質的な成果を盛り込んだ文書の取りまとめがで
          きないまま閉幕
       6月 イラン大統領にアハマディネジャド氏選出
       8月 イランがウラン転換活動を再開すると発表▽IAEA特別理事会がウラン濃縮関連活
          動を再度停止するよう求める決議を採択
       9月 IAEA理事会は保障措置協定にイランが「違反」したと認定
      10月 イランのアハマディネジャド大統領が「イスラエルは地図上から抹消されなければな
          らない」と発言
2006年 1月 イランがIAEAにウラン濃縮活動の再開を通告
      12月 イスラエルのオルメルト首相がテレビインタビューでイスラエルが核兵器を保有して
          いるととれる発言。後に否定▽国連安保理がウラン濃縮活動を継続するイランに対
          する制裁決議
2007年12月 米国が「イランは2003年秋から核兵器開発計画を停止している」とする報告書
          を公表
2008年 6月 イスラエルとパレスチナ自治区ガザを支配するイスラム原理主義組織ハマスと
          の間で停戦合意
      12月 アラブ連盟が、ガザに対するイスラエル軍の攻撃を停止させるため国連安保理
          を緊急に開催し拘束力のある決議を採択するよう求める声明
2009年 9月 IAEA事務局長に天野之弥氏選出▽IAEAがイスラエルに対しNPT加盟を求め
          る決議を採択
2010年 2月 イランが研究用原子炉での使用目的として濃度約20%のウラン製造開始

                               (日本国際問題研究所資料などを基に作成)

(2010年4月27日朝刊掲載)

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