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連載・特集

ヒロシマ60年 記憶を刻む 第3部 追体験 <7> もどかしい

■記者 宮崎智三、桜井邦彦、門脇正樹、加納亜弥

もどかしい 惨状伝わらない悔しさ

 「体調がすぐれないので行動が伴わない」。呉市の高橋勇さん(77)は、中国新聞社の被爆者アンケートにそう記した。体験を伝えたいけど伝えられない申し訳なさが、ボールペンの文字に、にじんでいる。

 瀬戸内海を見下ろす自宅を訪ねると、あの日に目撃した光景を書いたメモを保管していた。10年前、厚生省(当時)の呼びかけに応えて書いたという。その後しかし、きちんとした手記にはできなかった。「あまりにも悲惨で残酷な体験。思うように文章は書けないし」

 60年前の惨状を鮮明に覚えている。17歳。バスの運転手だった。広島駅近くの車庫兼待合室の2階で仮眠中だった。崩れた建物の下敷きになった。気が付くと、はりが背中に乗っかっていた。何とか抜け出したが、現在まで変形性脊椎(せきつい)症などに悩まされ続ける。

 被爆後、呉市で仕事を得た。だが、厳しい目にさらされることもあった。呉空襲の被害者に比べて被爆者は手厚く保護されていると、同僚に皮肉られたこともある。そんなときは、こう反論した。「放射線を浴びた被爆者は、死刑判決を受けたも同然。刑の執行がいつか分からず、いつもビクビクしている」

 家族に自分の体験を伝えることにも、遠慮する気持ちがあった。「つらい話だから子どもには好まれない。親の苦労を、子どもはよく分かってくれているのですが…」。そばで妻の怜子さん(71)が、半世紀余りも連れ添った夫の気持ちを代弁する。

 それでも昨年春、夫妻は子どもたちに見せようと、昭和の時代と戦争を記録したビデオを買った。いつか、子どもの方から進んで見てくれる日が来るだろう。そう思っているが、時間ばかりが無情に過ぎていく。

 高橋さん同様、もどかしさを募らせる被爆者は少なくない。アンケートに協力してくれた被爆者684人の65.2%が「体験を若者に引き継ぎたい」と回答した。しかし自由記述欄には、体験が伝わらない悔しさを吐露する文面が目立つ。「地獄のような原爆は思い出したくないし、体験記を読んでもらっても十分に理解できない平和ぼけの世代が多い」(70代女性)。「いくら語っても、平和にどっぷりつかって生きている人たちにはインパクトに欠ける」(70代男性)―。

 原爆被害者相談員の会代表を務める舟橋喜恵広島大名誉教授は「機会がなく、実際に行動を起こす被爆者は少ない」と指摘する。証言活動を活発にするには、市などの行政がボランティア証言者の掘り起こしを進めるなど、若者との仲介役を積極的に果たすべきだとも提言する。

 被爆体験は平和の礎。貴重な財産を生かす取り組みを、もっと被爆地全体で活発にできないだろうか。被爆者の平均年齢は今年春で73歳を超えた。残された時間は、そんなに長くはない。 

(2005年7月31日朝刊掲載)

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