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連載・特集

被爆から59年 あの日を刻む <6>

■記者 桜井邦彦、門脇正樹、山瀬隆弘

体験を学ぶ 悲惨さと平和 両立探る

 がれきの街を歩く被爆者3人。皮膚は焼けただれ、垂れ下がる―。

 原爆犠牲者の遺品などを通して空前の惨禍を伝える原爆資料館(広島市中区)の西館入り口。22日午後、赤く照らされた3体の人形の前で、中区の吉島東小1年、三戸亮磨君(6つ)は目をそむけ、母千恵さん(39)の後ろに隠れた。学校での平和学習に触発され、夏休みを利用して初めて資料館を訪れた。感想は「怖い」の一言に尽きた。

 資料館は、被爆に至る経緯や復興の歩み、現在の核時代までを時代順にたどる東館から、遺品や放射線による後障害のありさまなど「あの日」の傷跡に迫る西館へと通じる。じっくり観覧するのに約3時間要るため、過密スケジュールの修学旅行では駆け足の見学になりがちだ。西館で再び戦火に戻る順路に違和感を覚える人もいる。

 来年の開館50周年を前に資料館が昨年から実施した入館者・有識者アンケートでは、「見かけで訴えると、原爆でなく『資料館が怖い』で終わる」とし、来館者の年齢を考慮した見学コースの新設を求める意見もあった。高野和彦副館長(48)は「原爆の非人道さと平和や命の大切さ。展示でどう両立させるか」と悩ましさを打ち明ける。市民意見を踏まえた展示内容の更新計画を来夏までに決める予定だ。

 若い世代は被爆の実態をどう受け止めているのか―。広島女学院大(東区)の宇吹暁教授(57)=日本史=は、研究室の棚から封筒を取り出した。昨年秋、「私のヒロシマ」と題して学生110人に課したリポートだ。

 「小学校のとき、原爆資料館に行った」「祖父母に聞いたことがある」…。学生の9割が広島市や近隣の出身者なのに、原爆に関する記述はわずか。イラク戦争やテロ情勢に話題を替えて反戦を訴えている。「幼いころの平和学習で『やった気』になっているか、あるいはやり過ぎて拒否反応を起こしている」と宇吹教授はみる。原爆・平和にゲップしている―と若者の「ヒロシマ離れ」を懸念する。

 広島市教委は今春、平和教育の指導資料を作り、市立の137小学校に配った。2年前、小学4―6年生約1500人に実施した意識調査で、原爆投下の日時を正確に答えられた児童が3割強にとどまったのが背景にある。

 指導資料は、監修のベテラン教員たちが実践してきた指導計画をそのまま収録した。原爆投下の経緯や被害の実態を学ばせるため、授業に割く時間や引用する教材、黒板への書きこみ方、碑めぐりの手引などが事細かに掲載してある。

 間もなく学校現場の教諭たちは、全員が戦後生まれとなる。「被爆体験を確かに紡いでいくには、まず教員が原点に立ち返らなければならない」と市教委指導二課。小学校が被爆者を招いて証言を聞くための予算を、本年度初めて全校に組み込んだ。

(2004年7月27日朝刊掲載)

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