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連載・特集

『生きて』 詩人 御庄博実さん <15> 二つのふるさと

■記者 伊藤一旦

ヒロシマの力を信じて

 2005年、在日米軍再編に伴い岩国基地(岩国市)に、厚木基地(神奈川県)艦載機部隊を移転する計画が公表された

 世界に平和を発信しなければならない広島のすぐ隣、しかも僕の故郷に、極東最大規模の基地ができる。そんなことが許されていいのか、と思ってね。急いで12編を書いた。普段はなかなか詩が書けないけど、この時は早かった。それだけ怒っていたんでしょう。2008年、過去の作品とともに詩集「ふるさと―岩国」(思潮社)にまとめました。少年時代を過ごした岩国、旧制高校で青春を送った広島、それぞれで大切な時間を過ごした。その変ぼうを書き残しておかねばならないと思っています。

 「(略)原爆で焼かれた 幾万かの骨が/いまも広島湾の底にいて/(略)/まっすぐに見える岩国に/極東最大の『いくさ』の基地が出来ます/幾万かの骨は 一言も声を出さないが/広島湾の底で/がくがくと無言の声をあげているのです」(「骨になって」から)

 原爆資料館(広島市中区)を訪れた世界中の子どもたちが、「こんな残酷なことがあっていいのか」と、感想を書き残していました。豊かな想像力です。僕は劣化ウラン弾の影響で乳がんになったイラクの少女を想像で詩にしたけど、読者にイラクの現状や劣化ウラン弾による被害を伝えることができる。生命力に響くようなヒロシマの詩が好きですね。

 ヒロシマの、世界に訴えかける力に大きな意味を感じます。劣化ウラン弾の被害や原発事故など、ヒバクシャは増え続けている。世界中のヒバクシャの団結を呼びかけ、核廃絶を発信するのがヒロシマの役目でしょう。ヒロシマは、生きています。イラクやベラルーシや、世界中のヒバクシャに勇気を与える街だと思う。

 「あの日」から65年。ヒロシマの願いを込め、平和記念式典が開かれた

 「核の傘」からの離脱を、国連や米、英、仏の代表の前で訴えた今年の平和宣言はよかったね。核被害を受けながら「核の傘」に守られて、核廃絶を訴えるのは矛盾する。65年の節目にふさわしい「8・6」だった。核のない世界に向け、ちょっと希望を持ちました。=おわり

(2010年8月14日朝刊掲載)

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