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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第1部 被害地を歩く <6> 岐路の民間支援

戦後37年どうバトン

広島・山口の会「風化させぬ」

 ベトナム戦争後、現地の枯れ葉剤被害者への国レベルの救済は立ち遅れた。それを補ったのは、世界各地の民間団体による人道支援である。被爆地広島からも届けてきた。

 「大きくなったのお」。古びた運動器具が並ぶ一室に、再会を喜ぶ広島弁が響いた。子どもたち8人と対面したのは、広島ベトナム平和友好協会(東広島市)訪問団の50~60代の男性6人だ。

施設建て協力

 4月下旬。湿った熱風がトウモロコシ畑を吹き抜ける中、首都ハノイの南東80キロのタイビン省にある障害児リハビリ施設を訪れた。枯れ葉剤の影響とみられる障害がある14~24歳の20人が暮らす。

 戦時中、同省からは旧北ベトナムで最多の45万人が旧南ベトナムに派兵された。枯れ葉剤被害者は国内最多の3万2千人に上る。

 リハビリ施設は、東広島市の市民有志や東京の団体の力で2004年に建てられた。01年から被害者支援のチャリティーコンサートに協力し、収益を充てた。市民有志は09年に友好協会を設立した。

 その年から施設の子どもたちにノートやペンを寄贈。運営を支えるため、現地で子どもが作った刺しゅうを買い取っている。

 「世代を超えた苦しみがここでも続いている」。父が被爆者で、初訪問の小野悟朗さん(60)は「わが子に放射線の影響が出ないだろうか」と悩んだ経験を重ねた。十分な設備もない環境で懸命に闘う姿。「力になろう」とあらためて思った。

 枯れ葉剤被害者協会(VAVA)タイビン支部のグエン・ドゥック・ハン支部長(72)が語り掛けた。「戦後37年。海外からの視察は減ってきた。広島とのつながりは心強い」。ただ、友好協会の会員約50人の大半が50~70代。赤木達男訪問団長(60)は「活動を次世代にどうつなぐかを考える時期だ」と話す。

「息長く」決意

 ことしで設立10年の広島ベトナム協会(広島市中区)も、ホーチミンの被害者に支援金を贈り続けている。02年にホーチミンの戦争証跡博物館であった原爆展にも携わった林辰也会長(72)は「両国とも戦争を知る世代は減っている。体験を風化させない取り組みを続けたい」。8月にメンバー4人が現地を訪れ、VAVAの10周年記念行事に出席する。

 「これからが本当の支援かもしれない」。国際医療協力山口の会(下松市)の岩本功会長(71)は強調する。枯れ葉剤被害の全国調査はなく、救済が届かない人も多いからだ。

 山口県内の医師と1994年に会を設立。これまでにベトナム人医師の研修受け入れ、医療機器や車いすの寄贈をしてきた。99~01年には、弟で医師の晋(すすむ)さん(69)=山口市=たちと中部のダナンで枯れ葉剤の影響調査をした。

 「適切な支援には、被害の全容把握が必要だ」と岩本会長は指摘する。「原爆、枯れ葉剤に原発事故。いずれも被害は長期に及ぶ。ベトナムで、息の長い支援を続けたい」。その決意は固い。

(2012年6月24日朝刊掲載)

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