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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第2部 加害と被害のはざまで <1> 動きだす「2世」~米国

初の団体 苦しみ共有

現地の被害者へも関心

 ベトナム戦争(1960~75年)中に米軍がまいた枯れ葉剤は、自国や同盟国の兵士にも過酷な健康被害をもたらした。戦場での加害を悔い、自らの被害に苦しむ米韓両国の帰還兵、救済拡大の声を上げ始めた米国の2世たちのいまを追う。(教蓮孝匡)

 米国北東部オハイオ州のキャンフィールド。町外れに、芝生の庭付き住宅が並ぶ。

 4月半ば、ベトナム帰還兵を父に持つヘザー・バウザーさん(40)宅に全米から7人が集まった。生まれつき左手の指がくっついた男性(37)、皮膚がんを患う女性(38)。テーブルを囲む彼らの父はみな、ベトナムの戦地で自国が使った枯れ葉剤にさらされた。

 「一人で苦しみを抱えなくていい。支え合って前に進もう」。語り合って3日目。ヘザーさんはそう締めくくった。ベトナム帰還兵の子どもの健康を守る会(COVVHA)が発足した。米国初の枯れ葉剤による2世、3世の被害者団体だ。

補償対象は狭く

 米退役軍人省によると、1962年以降にベトナム戦争に従軍した全ての米兵約260万人が枯れ葉剤の影響を受けた。同省は91年から、病種や障害の程度に応じて補償金を支給している。2世も対象だが、父親が帰還兵の場合、認められるのは脊椎の障害だけ。ヘザーさんたち8人はいずれも補償の対象外だ。

 ヘザーさんは右脚の膝から下や両手指の一部がない。幼い頃からいじめられた。「父は『戦場に行くべきでなかった』と、自分を責め続けた。見るのはつらかった」。軍服で写る若き日の父、故ウィリアムさんの写真を手に涙を浮かべた。

 ウィリアムさんは68~69年、ベトナム南部ビエンホアで従軍した。現地の飛行場は枯れ葉剤散布機の出撃基地。今も猛毒ダイオキシンが高濃度のホットスポットだ。当時、使用後の枯れ葉剤用ドラム缶の底に穴を開け、水を入れてシャワーとして使ったという。

 帰還後、授かった5人の子のうち3人は流産。心臓病やアルコール依存を抱え、98年に50歳で亡くなった。

自国の過ち痛感

 家族の幸せを奪ったベトナムとはどんな場所なのか―。米軍の枯れ葉剤使用から半世紀の昨年8月、ヘザーさんは初めて、かの地へ赴いた。自分と同じような障害の子たちを知った。貧しく、年老いた両親が寝たきりの子を世話していた。「ベトナムの被害者は、米国よりさらにほったらかしだ」と、自国の過ちを痛感した。

 「国策に振り回され、置き去りにされ、苦しみ続ける人はどこの国にもいる」。へザーさんは、帰国途上に訪れた原発事故後の福島県飯舘村で、思いを強めた。自ら動きだそうと心に決めた。

 COVVHA設立メンバーの一人、ケリー・デリックスさん(37)=ペンシルベニア州=も、活動を始めてベトナムの被害への関心が高まった。「まだ心に余裕はないが、あの戦争は何だったのかを考えていければ」

 オハイオへの途上、ニューヨークで会ったNPO法人「戦争の遺産プロジェクト」のスーザン・ハモンド代表(47)=バーモント州=の言葉を思い出した。「米国にとって振り返りたくない過去。だからベトナムの被害に目を背ける。そこをこじ開けたい」。本当の被害救済はこれからだ。

米国の枯れ葉剤被害補償
 米退役軍人省は、1962~75年にベトナムに駐留した兵士が前立腺や呼吸器系のがん、パーキンソン病など14疾病のいずれかを発症すれば、枯れ葉剤の影響とみて症状に応じた補償金を支給する。最高額は寝たきりで家族4人と同居の場合の月3285ドル(約26万円)。2011年8月現在、少なくとも帰還兵8万9千人が受給した。子どもの先天性障害は、母が駐留していれば心疾患や口唇口蓋裂の18疾病、父の場合は脊椎障害だけが補償対象。

(2012年7月3日朝刊掲載)

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