×

連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第2部 加害と被害のはざまで <2> 帰還兵の苦しみ~米国

健康被害と責任重く

訴訟で真実解明できず

 「南ベトナムの人々を救うためさ。ジョンソン(当時の米大統領)の言葉を信じ切って戦地に向かった」

 ベトナム戦争の帰還兵ポール・コックスさん(63)は米カリフォルニア州バークレーの自宅でソファに腰掛け、語った。窓際の鉢植えが夕日に染まる。

 「現地に着いて数カ月で気付いたんだ。どこが正義なんだと」

 1969年2月から1年半、旧南北ベトナムの軍事境界線の周辺や、枯れ葉作戦の出撃拠点の中部ダナンに駐留した。帰国後、甲状腺を患った。

 枯れ葉剤に含まれる猛毒ダイオキシンは、甲状腺などの内分泌障害を引き起こすとの研究報告がある。だが、米政府の被害補償に甲状腺疾患は入っていない。コックスさんは放射線治療でほぼ回復したが、薬を手放せない。

記憶も消えない

 戦地の記憶も消えない。ダナンでは村々に潜むゲリラ兵を見つけるため、住民を強制移住させた。同じ隊の兵士は非武装の村人を殺害した。目を伏せ、沈黙の後、「あの戦争で私たちは大きな責任を負った」と継いだ。

 アリゾナ州で暮らすベン・クイックさん(37)は、3年前に他界した帰還兵の父の人生をたどる。70年、ベトナムとカンボジア国境付近のジャングル。南ベトナム解放民族戦線の根拠地で、大量の枯れ葉剤がまかれた。灼(しゃく)熱(ねつ)の戦場。父は川の水を飲んで転戦した。

 帰還して3年後、両手に障害のあるクイックさんが生まれた。「誇りを持って戦ったはずのベトナム戦争と、息子の障害という二つの重荷を背負い続けた」と心情を思いやる。

 ベトナム帰還米兵が枯れ葉剤を製造した化学企業を相手に損害賠償を求めた集団訴訟は84年、企業側が1億8千万ドルを支払うことで和解した。1人当たりの和解金は最高で約3千ドル(当時のレートで約72万円)。「法廷で真実を明らかに」という帰還兵や家族の思いは断たれた。和解を不服とする原告の一部が起こしたその後の訴訟も全て却下された。

施設訪れ支援金

 コックスさん宅を訪ねて2週間後。ダナンの障害児支援施設に、コックスさんたち帰還米兵10人の姿があった。全米組織「平和を願う退役軍人の会(VFP)」の初訪問団。15日間で8都市を巡り、被害者の施設や家庭を訪ねて支援金を贈った。

 「ベトナムの被害者のために何ができるか考えている」。現地に住むチャック・パラッゾさん(59)が代表して伝えた。ベトナム枯れ葉剤被害者協会(VAVA)ダナン支部のドアン・ホン・チュオン副会長は「被害者支援を米政府に働き掛けてほしい」と訴えた。

 医療も経済的支えもない家族、今も残るダイオキシン汚染地。パラッゾさんは「メンバーの多くは帰還以来のベトナム。自分の町に戻り行動してくれるはずだ」と力を込めた。

 戦後3度目の訪問となったコックスさんは繰り返した。「過去と向き合い、責任を取らなければいけない。新たな苦しみ、悲しみを生まないために」

 同じ帰還兵の苦悩は遠く韓国にも刻まれていた。(教蓮孝匡)

(2012年7月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ