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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第2部 加害と被害のはざまで <3> 同盟の代償~韓国

経済優先 犠牲は陰に

北朝鮮国境 住民散布も

 「枯れ葉剤なんて韓国兵はつゆも知らなかった」。5月下旬、ソウルの高台にある「大韓民国枯れ葉剤戦友会」の小さな事務所。ベトナム帰還兵の李承烈(イスンヨル)さん(66)が軍服姿で迎えてくれた。

 李さんは米軍の枯れ葉剤散布が激しかった1967年秋から1年半、ベトナム中部で従軍した。ある日、米軍基地周辺の山林に薬をまき、伐採するよう命じられた。仲間の隊員と下着で作業した。

 帰還後、両脚がしびれ始めた。今は歩くのもやっとだ。韓国政府の枯れ葉剤被害補償で軽度と認定され、月約34万7千ウォン(約2万4千円)を受給する。「戦地では命令通り動くだけ」。痛む膝をさすり、淡々と話した。

 韓国にとって、北朝鮮との53年の休戦後、経済立て直しが国の最優先課題だった。同盟を結ぶ米国からの要請を受け入れ、64~73年に延べ約31万人をベトナムに派兵した。参戦国では米国に次ぐ多さ。戦死者は約4600人に上った。枯れ葉剤の影響とみられる後遺症も多発した。

 だが、軍事政権下、抗議は封じられた。そもそも、枯れ葉剤の情報公開や報道はないに等しかった。犠牲は特需の陰に隠れた。「あの戦争は韓国社会に暗い影を落とし、今もトラウマだ」。ソウルの平和団体ナワウリの趙真碩(チョジンソク)事務局長(39)は指摘する。

 ただ、そうした声が出始めたのは民主化が始まった92年ごろから。報道によって韓国兵士の被害実態も徐々に明らかになった。補償要求の高まりを受け、韓国政府は93年、治療費や年金を支払う救済法を施行。一方で、韓国軍によるベトナムの民間人虐殺も明らかになった。「かつて侵略を受け苦しんだ韓国が、他国の人々を傷つけてしまった」と趙事務局長。

 枯れ葉剤はベトナム戦争中、北朝鮮と韓国を隔てる非武装地帯(DMZ)付近でも使われた。米政府は99年、散布の事実を認めた。

 米国防総省によると、当時、在韓米軍は北朝鮮からの越境を防ぐため、DMZの韓国側で南北2キロにわたり約8万リットルを散布した。作戦は韓国軍が担い、地元住民が作業を請け負う場合もあったという。

 ソウルから車で北へ約2時間。DMZに近い人口約120人の村、センチャンリを訪れた。人けのない昼時の集会所で、クォン・ジョンインさん(75)から体験を聞いた。

 「国を助ける思いで手を挙げただけだ」。71年、韓国軍が農薬散布の人手を募っている、と聞いた。クォンさんは、液体の薬を山林にまいた。当時34歳。作業後、全身を倦怠(けんたい)感が襲った。「働き盛りのはずなのに、少し動くと体がだるくなった」。今も3種類の薬を服用している。

 枯れ葉剤被害者への補償は、米国は当時の駐韓兵士、韓国は自国のベトナム帰還兵とDMZでの従軍兵を対象にする。だが、民間人は枠外だ。クォンさんは絞り出すように言う。「せめて残りの人生を安らかに過ごせるよう、政府は手を差し伸べてほしい」(教蓮孝匡)

韓国の枯れ葉剤被害補償
 1993年に救済法施行。枯れ葉剤被害者を「国家有功者」とし、症状の程度に応じて年金や治療費を毎月支給する。今年4月の法改正で対象は前立腺や肺、咽頭のがん、甲状腺機能低下など37疾病に。2世被害者は脊椎障害のみが対象。

(2012年7月5日朝刊掲載)

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