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連載・特集

復興の風 1955年 本通り商店街 食堂まず開店 昼夜に客

各店が励まし競い合う

 食堂に銀行、呉服店、パン店…。本通り商店街(広島市中区)に、にぎわいが戻ってきた。

 「中央食堂総本店」は被爆翌年の1946年、かいわいで最も早く開店したという。現在の広電本通電停の東側。広島本通商店街振興組合が編んだ冊子によると、中島本町にあった喫茶店の経営者が始めた。

 客が持参した米で巻きずしを作り、うどんや刺し身なども出した。創業間もなく働き始めた田中正康さん(83)=南区=は「当時は食堂がほとんどなく、商店主の会合や勤め帰りの人で繁盛した」と懐かしむ。

 広島原爆戦災誌によると、本通周辺の9町で住民の79~100%が即死した。家屋も100%全壊した。まさに町がなくなった。

 明治創業の「べっぴん店」は、戦後間もなく営業を再開。かんざしや帯留めなど花嫁衣装用の小物や化粧品、かばんなどの雑貨を並べた。乳児の衣類や用品を扱うベビー部は、渡部哲三社長(62)の親戚が経営していた。

 渡部社長は、父に連れられ東京へ通った。「広島にない商品を仕入れたいとの気概があった。復興できたのは、各店で励まし、競い合ったから」。向かいの中央食堂にも父と行った。

 東日本大震災では、仙台市内の商店街にある取引先が被害を受けた。「商店主仲間と目前の課題を一つずつ乗り越えていけば、徐々に形になる」と渡部社長。結束が再生への道を開く。(野田華奈子)

(2012年7月11日朝刊掲載)

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