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連載・特集

復興の風 1952年ごろ 原爆資料館 姿現す平和の「軸線」

 鉄骨と足場が格子のシルエットを描く。原爆資料館(広島市中区)の建設が進む。

 当時、高校教諭だった広島市佐伯区の河内山聖さん(84)が、足場に登って撮影した。本連載企画を読んで、提供を決めた。

 資料館は1955年8月に開館した。鉄筋一部3階建て延べ約1600平方メートル。設計した故丹下健三氏(1913~2005年)は、資料館と原爆慰霊碑、原爆ドームを同一線上に並べ、平和都市の「軸線」とした。その意図通り、格子の一つにドームが納まる。

 浄円寺(中区)の上園恵水住職(66)は幼い頃、この現場を毎日のように眺めた。現在の平和記念公園内に、かつて寺はあった。被爆後、父が同じ場所にバラックの寺を作り、墓地も設けた。

 公園の整備構想が浮上すると、浄円寺をはじめ6カ寺は移転を求められた。移転を拒み、連名で市に提出した請願書の控えを、上園住職は保管する。「結果的に父たちが応じたのは、公園を中心に広島が復興すると信じたからだ」と話す。

 94年に東館がオープンした。現在の所蔵資料は約2万1千点に上り、うち約420点を展示する。2011年度の入館者数は121万3702人(うち外国人9万6510人)。東日本大震災の影響もあり、前年度より約11万6千人減った。

 元館長の原田浩さん(72)=安佐南区=は「被爆資料の一つ一つに、物語が詰まっている」と話す。自身も爆心地から約2キロ東の広島駅ホームで被爆。倒壊した屋根の下敷きになった。

 「奇跡的に助かった者だからこそ、過ちを繰り返さないための強いメッセージを発信できる」と原田さん。悲しみの記憶を記録とともに後世に伝えてほしいと願う。(門脇正樹)

(2012年7月13日朝刊掲載)

復興の風 平和大通り 響くつち音

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