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連載・特集

復興の風 1952年 松原町 駅前熱気 物資も人も

 「エネルギーがあった。いちばん面白い時代じゃったねえ」。広島市東区の理容店経営田中康雄さん(77)は、写真の端に白衣を着た10代のころの自分を見つけた。

 同市南区の広島駅前。ペンキを塗る男性たちの表情も輝いている。進駐軍の来店も当て込んで「BARBER」とつづった看板の店に、田中さんは住み込みで働いていた。

 駅前は戦後まもなく闇市が生まれ、市中心部の復興の起点となった。闇市と入れ替わり商店が立ち並んだ。食料品、衣類、中古品…。ないものはない。物資も人も集まった。

 「みな焼けてしもうて、髪を切る所もほかにないんじゃけえ。繁盛したよ」と田中さん。来る客、来る客を七三分けにして、ポマードをなでつけた。

 田中さんの勤めていた理容店は、同区の秋信邦之さん(90)が経営していた。猿猴橋のたもとで明治期から続いた店は、原爆で焼失。1946年に秋信さんが復員したときには、妹たちが写真の場所で再建していた。

 秋信さんは「爆心地近くと比べ、助かった人が多かったから、焼け跡の整理も早かった」と振り返る。

 かいわいには熱気と混乱が渦巻いていた。

 「もうかった」「ひっかけられた」。詐欺まがいのトラブルや火事も相次いだ。勢力拡大をもくろむ暴力団の姿も半ば公然とあった。

 田中さんは20歳まで勤め、近くの実家の理容店を継いだ。秋信さんも店を創業期の場所に戻し、いまも現役。ともにはさみを握り続ける。(野田華奈子)

(2012年7月14日朝刊掲載)

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