×

連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 化学兵器 遠い廃絶

 ベトナム戦争での米軍による枯れ葉作戦は、人類の化学兵器使用の歴史に刻まれた。無差別に被害を与え、癒えぬ傷を残す化学兵器。安価に製造でき「貧者の核兵器」と称される。国際社会は19世紀末から化学兵器の禁止を模索。だが、戦場での使用は繰り返され、今も保有する国がある。遺棄兵器処理は緒に就いたところだ。毒ガスを造った大久野島(竹原市)の歴史も非人道性を糾弾し続ける。(教蓮孝匡)

除去・処理 大幅遅れ 禁止条約未批准も

 米軍がまいた枯れ葉剤による高濃度汚染地での除去作業が、戦後37年たった今夏、ベトナム中部ダナンで本格化する。ただ、枯れ葉剤は化学兵器禁止条約上、「化学兵器」に当たらないとされる。このため、2国間の協議に基づく処理が進む。ベトナム全土に、こうした広大な汚染地が点在する。

 化学兵器は兵士や民間人を殺傷するにとどまらず、重い障害をもたらし続ける。枯れ葉剤も実態は同じ。軍などが世界各地で貯蔵、遺棄した毒物が人々や環境を傷つけてきた。

 これらを教訓に同条約は1997年発効。現存する化学兵器の10年以内(最大5年延長可)の全廃を目標に置いた。遺棄分についても使用国に回収、処理を義務付けた。条約は日本、米国など188カ国が批准。北朝鮮、ミャンマー、シリアなど8カ国が未批准だ。

 批准国の米国はしかし、ベトナム戦争での枯れ葉剤の処理義務を負っていない。枯れ葉剤は、同条約の前文に「戦争での使用禁止」の趣旨が盛り込まれたものの、明確に化学兵器と定義付けられていないためだ。

 外務省などによると、今年3月までに米国、ロシアなど7カ国(1カ国は国名非公表)が計約7万1千トンの化学兵器の保有を申告。全廃の期限だった同4月までに、うち約5万2千トン(約73%)が廃棄された。未完了の3カ国の廃棄率は、冷戦の「主役」だった米国とロシアが各90%と62%、リビア40%。

 一方、戦争で遺棄した化学兵器の処理義務を負うのは日本だけ。自国内で老朽化した化学兵器の処理の責務を負う国は複数ある。

 内閣府によると、中国東北部の吉林省敦化郊外のハルバ嶺には、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した毒ガス弾が推定30万~40万発埋まっている。戦後の開発などで見つかり、住民が被害に遭うケースも相次ぐ。これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設。ようやく本年度内に発掘、回収が始まる見通しだ。

 日本が2000年に着手したこの事業は大幅に遅れている。今年6月までに処理済みは南京での約3万6千発。当初は「07年まで」だった処理期限を「22年まで」に先送りした。日本は10年度末までに中国での回収、処理に861億円を投じた。

 化学兵器禁止の国際ルールは過去にも空文化した経緯がある。核兵器と同様、各国が廃絶の道を歩まなければ、人類の未来はない。

旧日本軍が毒ガス製造

竹原の大久野島

広島大、健康被害の解明続ける

 竹原市忠海町沖に浮かぶ大久野島。戦時中、旧日本軍の毒ガス製造工場があり、地図から消された。製造や戦後処理に関わった人たちは長年、苦しんできた。広島大などによる健康被害の解明と検診は今も続く。健康管理手帳を持つ人は2012年3月現在、全国に2605人を数える。

 毒ガス島は1929年、旧陸軍造兵廠(しょう)火工廠忠海兵器製造所として開所した。第1次世界大戦で化学兵器を多用したドイツやフランスの技術を導入。工場が並び、びらん性のイペリット(マスタードガス)などの「きい」、ヒ素を原料にするくしゃみ性の「あか」などを製造した。

 日中戦争が始まる37年から生産量が急増。米軍資料によると、開所から第2次世界大戦終結までの総生産量は原液で6616トン。工員や動員学徒たちの総数は判明しただけで約6600人に上る。

 毒ガスは中国の戦地で使用した。戦後、大久野島に貯蔵されていた毒ガスは英連邦軍の指揮下で処理された。一部は島内の防空壕(ごう)へ埋設され、周辺の海に捨てられた。環境への影響は完全には消えていない。

 ベールに包まれた被害の救済は遅れた。医学的な実態解明が始まったのは52年。広島大の教授たちは、忠海町で集団検診を開始。死因調査も進めた。地道な努力で、毒ガスと呼吸器系疾患の多さとの関連などを裏付けた。

 54年、毒ガス障害者救済の特別措置が開始。認定者には、年金や医療券が支給されるように。69年からは認定患者以外の人にも救済措置が広げられた。竹原市の市民団体、毒ガス島歴史研究所の山内正之事務局長(67)は「国内外で今も多くの人が後遺症に苦しんでいる。国家は責任を取るべきだ。化学兵器廃絶の機運を高め、二度と繰り返さないよう訴え続ける」と話す。

後始末に関心持とう

常石敬一 神奈川大経営学部教授

 化学兵器は「貧者の核兵器」と呼ばれてきた。原料の化学物質は民生利用で使えるものが多く、入手しやすい。生産設備も小規模で済むため、核兵器と比べて「安上がり」に製造できるからだ。

 国際社会は化学兵器禁止条約などで、化学兵器廃絶へ向けた枠組みづくりをしてきた。現存する化学兵器は、この条約に沿って廃絶していくべきだ。ただ、当初の期限を過ぎても実現していない。

 化学兵器の恐ろしさは、影響がいつ牙をむくかが分からない点、そして長く苦しめる点だ。ベトナムの枯れ葉剤も、旧日本軍が大久野島で製造して使った毒ガスもそうだ。使われたり、製造に携わったりした人たちは戦後何十年たった今も障害に苦しむ。遺伝的影響や遺棄剤との接触などで新たな被害者を生んでいる。

 化学兵器を造り、使った国は当然、その行為に全面的な責任を負う。責任とは、被害者の救済と遺棄兵器の処理。その点で、日本が中国で進めている処理に、われわれはもっと関心を持つべきだ。自ら犯した過ちを知り、悲劇を繰り返さないためには、その後始末に向き合うことが欠かせない。それができなければ、国際社会の信頼は得られない。

 化学兵器による後遺症は未解明の部分もある。だが、それをもって患者を切り捨てるのか、患者に寄り添う姿勢を貫くかが問われる。

 ベトナムでのダイオキシン除去は、相当な時間と費用がかかる。責任を負う米国が真摯(しんし)に取り組むのかどうか、注目したい。

 科学は本来、人間の生活を豊かにするためにある。だが、科学技術の進歩が次々と新たな化学兵器を生んだ。科学が抱える負の部分を見詰め、国家や権力に厳しい目を注ぎ続けなければならない。

つねいし・けいいち
 1943年東京都生まれ。都立大(現首都大学東京)卒。長崎大教授などを経て89年から現職。専門は科学史。旧日本軍「七三一部隊」の研究で知られ、科学者の社会的使命を問い続ける。著書に「化学兵器犯罪」など。

第1次大戦で登場 各国で開発が続く

 近代戦で初めて化学兵器が使われたのは、約1世紀前にさかのぼる。ドイツ軍は第1次世界大戦(1914~18年)中の15年、ベルギー・イープルで大量の塩素ガスを連合軍に使用。約5千人が中毒死したとされる。その後、びらん性のイペリット(マスタードガス)などを開発した。

 フランスや英国の連合軍も化学兵器で反撃。ホスゲンなど致死性の猛毒ガスも次々と開発された。第1次大戦では30種、計1万3500トンが使われ、「化学戦争」とも呼ばれた。化学兵器による死者は10万人に上った。

 25年、あらためて毒ガス使用を禁じるジュネーブ議定書が採択された。だが、日本や米国は批准しなかった。毒ガスの生産や保有は禁じておらず、各国で開発が続く。35年、エチオピアに侵攻したイタリアはイペリットを初めて空中散布した。

 米国は第2次世界大戦末期、枯れ葉剤や毒ガスで日本本土を攻撃する計画を立てた。原爆投下によって実際には使われなかった。ベトナム戦争(60~75年)では、猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤約8千万リットルをまいた。

 80~88年のイラン・イラク戦争。イラクがイペリットなどを使い、イラン側に多くの死者が出た。イラクは自国内のクルド人に対しても無差別に使い、数千人が犠牲になった。

 現在、内戦状態のシリアは、化学兵器禁止条約を批准していない国の一つだ。化学兵器の保有が疑われ、自国内での使用も懸念されている。

≪化学兵器関連の歴史≫
1899年 ハーグ陸戦条約締結。戦場での毒物などの使用禁止
1915年 ドイツ軍が第1次世界大戦で塩素ガスを本格使用
  17年 ドイツ軍がイペリットなどを開発し、ベルギーで使用
  25年 ジュネーブ議定書調印。戦場での生物・化学兵器の使用禁止。日本、米国、ドイツなどは批准せず
  29年 大久野島(竹原市)に毒ガス製造工場が開所
  30年 日本軍が台湾の先住民暴動で初めて毒ガスを使用
  35年 イタリアがエチオピア侵攻でイペリットを空中散布
  37年 日中戦争始まる。大久野島の毒ガス生産量が急増。日本軍による中国各地での実戦使用が本格化
  45年 第2次世界大戦終結。旧日本軍が毒ガスを遺棄。米軍などによる戦後処理で旧日本軍の毒ガスを国内外
       の各地で投棄
  46年 英連邦軍が大久野島などの毒ガス処理、高知沖で海洋投棄も
  61年 米軍がベトナム中部で枯れ葉剤を試験散布
  67年 大久野島毒ガス障害者対策連絡協が発足
  69年 国連総会で生物・化学兵器禁止決議を採択
  71年 米軍機による枯れ葉剤の散布終了
  75年 米国がジュネーブ議定書批准
  81年 イラクがイラン・イラク戦争でイペリットなどの使用開始
  88年 イラクが自国内のクルド人勢力を鎮圧するとして毒ガスを使用
  90年 米国とソ連が化学兵器廃棄協定に調印
  91年 日本が中国で初の遺棄弾調査団を派遣
  93年 化学兵器禁止条約に日本、米国など130カ国が調印
  94年 松本サリン事件
  95年 地下鉄サリン事件。北海道の屈斜路湖から旧日本軍の毒ガス弾とみられる金属物体が見つかる
2000年 日本が中国・黒竜江省で遺棄化学兵器の発掘・回収を開始
  03年 茨城県神栖町(現神栖市)の井戸水から、旧日本軍の毒ガス兵器によるとみられる高濃度の有機ヒ素化合
       物を検出。子どもを含む住民ら20人が中毒症状を訴える
  09年 大久野島沖の海底から毒ガス兵器とみられる不審物が見つかる。翌年に環境省が毒ガス兵器のあか筒と
       ほぼ断定
  10年 中国・南京で移動式処理施設による旧日本軍の遺棄化学兵器の処理が始まる
  11年 ベトナムで枯れ葉剤が含むダイオキシンの高汚染地の除去作業開始
  12年 ベトナムのダイオキシン除去作業が本格化▽茨城県神栖市のヒ素汚染で、県が住民に計6千万円を支払う
       ことなどで和解▽中国・南京での遺棄化学兵器処理(約3万6千発)が終わる

(2012年7月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ