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復興の風 1957年 旧市民球場 夢の器 未来照らす光に

 焦土と化した広島市のまさに中心部に「夢の器」は完成した。1957年7月24日。旧広島市民球場の照明灯の明かりは、復興の道筋を照らす光そのものだった。

 第1期の総工費は約1億8千万円。中国地方初のナイター球場は、地元企業の寄付に支えられ、着工からわずか5カ月で完成した。そのスピードが、復興の勢いを物語る。

 「ファンも選手も、これでカープはプロ球団と大手を振って名乗れると、誇らしかった」。広島東洋カープの元監督阿南準郎さん(74)=南区=は、初の公式戦となった阪神戦に代打で出場した。

 当時、まだ低かったスタンドは約2万3千人が埋め尽くした。ただ結果は1-15の大敗。マウンドに立った備前喜夫さん(78)=西区=は「市民が作ってくれた球場。絶対に勝たんと、と浮足立った」と苦笑い。ただ、この日ばかりは、厳しいファンも「ヤジは少なかった」という。

 向かいのたばこ店経営伊勢栄一さん(74)は「明けても暮れてもカープの話よ」と懐かしむ。猿楽町(現中区大手町)で雑貨店を営んでいた父たちは被爆死。戦後の苦しく貧しい生活の中で野球は数少ない楽しみだった。

 「ナイターのある日は、照明灯の光の柱が夜空にこう、すーっと伸びてね。原爆で何もかも無くなった街に希望を与えてくれた」

 カープの本拠地は2009年、マツダスタジアム(南区)に移り、ことし2月、旧球場は解体された。でも忘れることはない。あの明るさを、あの歓声を。(新本恭子)

(2012年7月18日朝刊掲載)

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