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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第3部 解決への道 <2> 軍事のベール

「沖縄で使用」真相は闇

募る住民不安 情報開示を

 米軍普天間飛行場をめぐる混迷が続く沖縄県で昨夏以来、枯れ葉剤問題が浮上している。英字紙に掲載された、元沖縄駐留米兵たちの証言がきっかけだ。

 「ベトナム戦争中の1960~70年代、県内米軍施設で猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤を使い、貯蔵した」

 証言にある9施設の一つ、沖縄本島の山間地にある北部訓練場跡。本土復帰40年を前に、訪ねた。周辺は五つのダムがあり「沖縄の水がめ」とされる。

 跡地の一角を赤茶色の土が覆う。草木は生えていない。「証言を知り、『やはり』と思った」。名護市議の大城敬人(よしたみ)さん(71)は枯れ葉剤の影を疑う。

 他の施設はキャンプ・シュワブ(名護市)嘉手納基地(嘉手納町)など。県や地元の市町村はすぐに日本政府に事実確認を迫った。

 だが、政府は「米国から『枯れ葉剤が沖縄に持ち込まれたことを示す資料はない』との回答を受けた」と繰り返すばかり。日本政府として独自調査に乗りだす気配はない。

米の見解と矛盾

 ベトナム戦争中、沖縄は物資や兵士を送り出す拠点だった。ジャングルに似る本島北部では海兵隊の対ゲリラ戦訓練が行われ、枯れ葉剤も使われたとされる。沖縄での使用疑惑は浮かんでは消えた。

 「枯れ葉剤は持ち込まれなかった」との米国の見解と矛盾する事実がある。2007年、北部訓練場などで60~61年に枯れ葉剤をまいた元米兵が前立腺がんの後遺症を認定されていたことが、米退役軍人省の公文書で判明。同省は元沖縄駐留米兵の少なくとも3人に対し、枯れ葉剤と健康被害の因果関係を認めて補償をしている。

 沖縄県は毎年、ダイオキシン特措法に基づいて基地周辺で水質検査をしている。環境基準を超える値は出ていない。だが、基地内は蚊帳の外。日米地位協定により米側へ提供した施設・区域は米軍管理下にあるからだ。

 名護市や北谷町は独自に元基地労働者の聞き取りをしたり、土壌や地下水を調べたりした。しかし、予算は限られ範囲もわずかだ。「かたちだけの調査」との批判もある。

新たな被害懸念

 軍事の厚い壁は、住民の前に立ちはだかる。米海兵隊岩国基地(岩国市)もベトナム戦争時、戦闘機部隊の派遣基地の役割を担った。生物化学兵器や核関連物質の持ち込み、貯蔵の疑惑も追及されたが、真相は闇の中だ。

 「環境汚染や健康被害の実態が住民に伝わらなければ、新たな被害や問題を生む」。沖縄生物多様性市民ネット共同代表の伊波義安さん(70)=うるま市=は強調した。

 ベトナム政府も、大半が軍用地とされるダイオキシンの高濃度汚染地28カ所のうち、3カ所しか公表していない。終戦後、国内外の研究者による環境調査も、軍用地には及ばなかった。

 北部訓練場跡を視察した、環境総合研究所(東京)の池田こみち副所長は「環境汚染は軍用地、民地の境に関係なく広がる。自治体や政府は軍事といえども情報を開示し、近隣住民の安全を優先させるべきだ」と訴える。(教蓮孝匡)

(2012年7月19日朝刊掲載)

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