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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第3部 解決への道 <3> 医療支援

健康調査 蓄積を還元

毒ガス・公害病 経験参考に

 金沢大医薬保健研究域の城戸照彦教授(59)たちは8月、ベトナムへ向かう。ハノイ医科大などと共同で、枯れ葉剤による住民の健康への影響を調べるためだ。2002年から12回目の訪問となる。

 調査はベトナム中部の枯れ葉剤の散布、非散布地域のデータを比較。住民の血液や母乳のダイオキシン濃度、神経機能への影響などが判明しつつある。

 「枯れ葉剤被害は最大の環境破壊である戦争が生んだ。目に見えない化学物質の恐怖という点も似通う」。城戸教授たちが注ぐ熱意の底には、四大公害病の一つ、イタイイタイ病の経験がある。

 同じ北陸の富山県の神通川流域で1955年、骨がもろくなる健康被害が表面化。鉱山から出た重金属カドミウムによる汚染と分かった。城戸教授たちは20年以上、支流ごとのカドミウム濃度や住民の疾病傾向、農作物被害を追跡。その蓄積を被害者の治療や健康管理に生かしてきた。

半世紀のデータ

 近年、ダイオキシン研究を望むベトナムからの留学が続く。「現地の住民や研究者との信頼構築の産物かもしれない」と城戸教授は手応えを感じる。

 化学兵器の被害者救済。旧日本軍による毒ガス兵器製造の歴史を抱える広島の医師たちは、半世紀以上にわたり蓄積してきた。29年から終戦まで竹原市の大久野島にあった毒ガス工場で働いた工員や動員学徒は、推定6600人。健康被害は終戦とともにうやむやにされた。

 「枯れ葉剤と同様、製造や戦後処理で毒ガスにさらされた人の後遺症は当初知られていなかった」。広島大などの医師でつくる大久野島毒ガス障害研究会会長を務める河野修興・広島大大学院教授(59)がひもとく。

 被害解明のきっかけは終戦7年後。同大医学部の前身、広島県立医科大の医師たちが島で働いた210人の健康診断を実施。直後、30代の元工員男性が肺がんで急死した。毒ガスとの関係を疑った医師たちは元工員たちの名簿を自ら作り、定期検診を始めた。医学的知見の積み重ねが、患者の健康管理や救済措置につながった。

 「初めは手弁当だった。患者を救いたいとの強い意志があってこそ」と河野教授。国が費用負担を始めた74年度から2011年度までに延べ約9万人を検診し、携わった医師は延べ約3300人。患者の検診や治療のノウハウを築いてきた。認定患者は現在、全国で約2600人に上る。

手薄な公的救済

 ベトナムの枯れ葉剤被害者は約300万人。このうち政府に認定された約20万人が支援金を受けている。だが、公的救済の基礎となる健康調査は全土には及ばず、医療体制が手薄な地域も多い。

 河野教授は「毒ガスとダイオキシンの被害は科学的に異なる。ただ、患者に寄り添う臨床、国を動かして築いた救済体制は参考にしてもらえるのでは」と話す。現地と共同研究を進める金沢大の城戸教授も「少しでも役に立てれば」と願う。

 世界で例のない毒ガス研究と公害対策を重ねた日本。その経験はなお惨禍に苦しむベトナムに還元できるはずだ。(教蓮孝匡)

(2012年7月20日朝刊掲載)

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