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連載・特集

復興の風 1950年 基町 ゾウに重ねた大きな夢

 柵にかじりつく子ども。人垣の後ろでベンチに立つ親子連れ。輪の中心で大歓声を浴びるスターは、ゾウの広子。広島こども博覧会に合わせてタイからやって来た。

 「原爆で遊びも学びも奪われた子どもたちのために」。博覧会は、広島県や広島市、中国新聞社などが57日間の会期で開いた。中区基町にあった児童文化会館一帯を会場に、発電機や列車の模型を並べた展示館や、動物園などが設置された。

 1番人気は広子だった。名前は、中国新聞紙上で募集した約8300通の中から選ばれた。歓迎会には約3千人が集い、花束贈呈や歌で出迎えた。

 当時、袋町小5年だった田原操さん(72)=三原市=は、間近で広子を見た。「ゾウなんて絵本でしか見たことなかった。『乗ってみるか』と聞かれたけど怖かったのか、断ったの」と振り返る。

 ゾウの人気で、動物園開設の声も高まる。市発行の「広島新史」によると、博覧会のあった50年には、市内27小学校の代表54人が署名運動の実施を決め、年内に3万2700人分を集めて、市に届けた。要望を受けて52年、児童文化会館隣の公園内にサルや小鳥の飼育施設が造られた。市安佐動物公園(安佐北区)が完成するのは71年のことだ。

 こども博の翌年には、広島で初の国民体育大会、58年には広島復興大博覧会と、復興を意識した催しが相次いだ。人びとは文化を謳歌(おうか)する心のゆとりを取り戻し始めていた。(新本恭子)

(2012年7月24日朝刊掲載)

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