×

連載・特集

復興の風 1952年 幟町聖堂建設 希望ともす

 しゃれた洋風の門が、往時の邸宅の姿をしのばせる。断ち切られた生活の向こうで、足場が空へと伸びる。世界平和記念聖堂は1950年に着工され、54年に完成した。

 聖堂は、原爆で焼失した幟町教会の跡地一帯に建設された。「原爆犠牲者の鎮魂と世界平和実現のために」。故フーゴー・ラサール(日本国籍を得て愛宮真備(えのみや・まきび)と名乗る)神父の呼び掛けに、国や宗派を超えて建設資金や備品が集まった。日本を代表する建築家の故村野藤吾氏が設計した。

 信者の広島市中区の服部節子さん(81)は、募金箱を抱えて街頭に立った。「通り掛かりの人も仏教徒も、嫌な顔ひとつせずに協力してくださった」

 白島中町の自宅で被爆した。父は、建物疎開で雑魚場町(現中区国泰寺町など)に行ったきり行方不明。学徒動員に出ていた市立第一高女(現舟入高)の同級生や後輩の多くを失った。

 「友達は亡くなり、自分だけが生き残ってしまった」。身の置き場がない日々。聖堂建設の知らせは希望となった。「父や友を思って、祈ることができる。それが私の安らぎになりました」

 東日本大震災の被災地の惨状は、服部さんの被爆の記憶を強く呼び覚ました。放射能の影響も人ごととは思えない。昨年10月、被災した宮城県石巻市などを教会関係者と訪ね歩いた。

 「被災地に寄り添い、心に留め続けることが力になるはず。支えてもらった私たちが立ち直れたように」。聖堂からの祈りは続く。(野田華奈子)

(2012年7月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ