×

連載・特集

『生きて』 日本被団協代表委員 坪井直さん <9> 結婚

反対され睡眠薬を飲む

 古里、音戸(現呉市)の音戸中で教員をしていたころ、貧血で倒れ、入院。半年ほどで退院した

 2階の職員室の窓辺にもたれて沈む夕日を見ていた。「先生!」。別の学校の教え子が声を掛けてきた。後に妻となる鈴子でした。私より七つ年下。小柄で愛くるしかった。最初は数人で会っていたが、何年か後には、二人で会うようになりました。じゃが、楽しい時間は長くは続かんかった。彼女の家族から「被爆者は長生きせんらしいですな」と警戒されました。

 結婚を反対された二人。来世で結ばれることを願い、音戸瀬戸(現呉市)が見える丘で睡眠薬を飲んだ

 しばらくして何かの拍子で意識が戻った。もう一回、薬を飲もうとしたら、彼女も気が付いて。その後、二人で泣きました。この世でもあの世でも一緒になれん、何もかもおしまいだと。じゃが、結婚に一番反対していた彼女の父が事故で亡くなりました。そのうち、熱心でいい先生だという私の評判が彼女の家族にも伝わってね。被爆者は短命じゃというが、まだ生きとるじゃないかということにもなって。

 私たちは1957年に結婚し、3人の子どもに恵まれました。しかし妻は92年、脳出血で亡くなりました。59歳でした。

 55年、音戸出身の劇作家堀田清美氏が原爆戯曲「島」を発表した。死に直面しながら生きる決意をする被爆青年の物語。教え子の女性に思いを寄せるが、被爆しているため、結婚に悩む場面も出てくる

 フィクションじゃが、主人公の栗原学が私、教え子の女性は妻がモデル。堀田さんが被爆の話を聞きたいと言うんで、こたつでミカンを食べながら3、4時間話した。堀田さんの弟が私と同じ学校の教員で、劇になるとは知らず、すっかり心を許してしまってね。それが、こんな素晴らしい劇になるんじゃから。

 物語の最後、学が「生きてみせるぞ!」と思う。まさに死んでたまるかというのが、あの頃の心境だった。私は神戸の舞台であいさつしました。「学はきょう、ここに来ています。二人はその後、どうなったでしょう。皆さんの想像にお任せします」とね。

(2013年1月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ