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連載・特集

『生きて』 日本被団協代表委員 坪井直さん <14> 8・6と3・11

共通する放射線の恐怖

 2011年3月11日、東日本大震災が発生した。揺れと津波で福島第1原発事故も起きた。事故の国際評価尺度は最悪のレベル7。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)と同じだった

 直後に訪れた中国では、ずっと原発事故のことが気掛かりだった。

 経済発展のため原子力の平和利用が必要と言われたら、原発に反対できない感じがあった。「反核の父」と呼ばれた森滝市郎さん(1901~94年)が「核と人類は共存できない」と訴えていたものの、日本被団協が「脱原発」に踏み込んだのは事故が起きてから。反省しています。

 また何かがあってからでは遅い。核の問題は、地球全てに関わる。本気で考えないと。世界は覚醒しないといけないと思う。

 12年8月には福島市を訪れ、被爆体験を語った。被災地訪問は、原発事故後では初めてだった

 福島の人を元気づけたい、励ましたい、という気持ちでした。会場の人たちには、「放射線を恐れちゃいけん。しかし非常に害の大きいものだから、軽視してもいけん」と言いました。何年かしてから体に影響が出るかもしれんのだから。

 その時、原発事故で全町避難を強いられた福島県浪江町の馬場有町長とも会談した。浪江町は、被爆者健康手帳を参考にして、「放射線健康管理手帳」を独自に発行。被爆者と同様の援護を国に求めている

 馬場町長とは12年の8月6日に広島で初めて会った。町民が国から補償がもらえるようにせんといけん。われわれ被爆者がまた福島へ行き、原発事故で被害を受けた人たちと話す場を設けて、負けてはいけん、と勇気づけたいとも思う。

 原爆によってひどい目に遭い、放射線の怖さを一番よく分かっているのが、われわれ被爆者です。原発は、使用済み核燃料をどうやって最終処理するか、の問題も解決していない。ましてや、事故が起きると、人間は原子力をコントロールすることができないのです。

 人類が放射線によって滅亡してしまわないよう、今こそ被爆者の声を聞いてもらわないといけません。原発をなくすことは、われわれの悲願の核兵器廃絶にも通じるのです。

(2013年2月5日朝刊掲載)

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