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連載・特集

2001被爆者の伝言 金崎是さん (上) 見えるうちに惨状描きたかった

金崎是(すなお)さん(84) 広島市西区福島町

 ▽目を突き刺した閃光

 二十年ほど前から白内障がひどくなり、今は目がほとんど見えん。やっぱり、あの時の閃(せん)光が目に付き刺さったような気がする。原爆の影響じゃという医者はいないが、まったく無関係とは思わん。原爆が落ちたときは廿日市にあった勤務先の軍需工場にいた。無数の光の筋が大地に突き刺さったように感じた。

 妻子を捜しに広島に戻って来て、あの悲惨な状況を目撃した。でももう絵が描けない。克明に惨状を残せなかった。胸につかえている。うっすらでも目が見える間に、大きい絵を残したい。これが原爆の絵なんだ、と自信を持って言える大きな絵を描きたかった。用意した100号の額縁は、階段に置いたまま。ただただ心残りです。

 戦前は、十六歳の時、広島県美術展覧会に初入選。二十歳すぎで中央画壇でも入選するなど画家を目指して絵を描き、実績を上げつつあった
 原爆に遭って、人生観がすっかり変わってしまった。絵で身を立てたいと夢見ていたが、のんびり絵なんぞ描いてはおれないと思い知らされた。原爆があったんじゃ、人類が絶滅してしまう。本当にそう思うた。

 でも、画家にならんかったことに悔いはない。人類を滅亡さす核兵器を絶対なくさんといけん。そう思って被爆者運動にのめり込んだ。原爆で広島が何一つ残らず破壊され尽くした。それだけじゃない。白血病や原爆症…、外見はどこもおかしくないのに、放射能で次々死んでいった。

 被爆を機に、核兵器廃絶や被爆者援護の運動に飛び込み、絵筆を手放した時期もあった

 ▽核の威力、地蔵が証言

 (一九七八年に)勤めを辞め、再び絵を描き始めた。毎日毎日、広島の寺という寺を回って、原爆で割れたり、首が飛んだりした地蔵を描いた。これほどまで石が壊されとることを多くの人に知ってもらいたかった。被爆地蔵は、核兵器の力のものすごさを証言しとるんです。

 被爆地蔵の絵画展を通じて核兵器を告発してきたが、白内障が悪化。九四年に手術を受けたが回復せず、絵を描き続ける夢は奪われた
 二十一世紀になったのに、核兵器はまだ存在する。広島、長崎(への原爆投下)の時は、米国しか核兵器を持っていなかった。今は何カ国も核を持っている。合わせて三万発以上もある。これを一掃する運動を強めないといけない。何よりも被爆国の日本が、もっと目を向けなければ…。

 再び核兵器が使われない、という保証は何もない。自分たちの将来が脅かされている。もっと危機感を持たんといけん。知恵のあるものは知恵を出して、金のあるものは金を出して、弱まってしまった運動を広げんといけん。このままじゃ、死にきれん。

(2001年7月19日朝刊掲載)

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