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連載・特集

2001被爆者の伝言 竹内武さん (下) 被爆者健康手帳、1人でも多く取得を

竹内武さん(73) 広島市西区己斐本町

 ▽証人捜しのお手伝い

 せっかく苦労して作った原爆医療法じゃ。使われんかったら、意味がない。被爆者が恥ずかしいのに街頭で署名を集め、ケロイドをさらして声を出し、やっとできた。だから、被爆者健康手帳が必要な人には、なるべく早く交付できるようにお手伝いしたかった。

 被爆者健康手帳を取得するには、原則として二人以上の証人が必要。しかし原爆投下から年月がたち、証人が見つからないため手帳がもらえない被爆者が出るようになった。一九七二年、広島県被団協は証人捜しに取り組むことを決め、事務局にいた竹内さんが相談役を引き受けた
 被爆後に郡部に帰った人や、よその県から救援に来た人は、証人を見つけるのに困っとった。最初は資料もないから、救援部隊の軍人であれば、戦友会名簿、学徒であれば在学名簿や卒業名簿を基に情報を集め、唯一の公的資料といえる広島原爆戦災誌もよく読んだよね。

 そのうち、どの県の救援部隊が広島に来て、どの学校がどこに動員され、どんな証人がいるかが分かってきた。一言相談されりゃあ「どこに、どういう人がおってよ」と言えるようになった。

 資料を読み、関係者の話を聞き、コツコツと証人を捜した。妻の美代子さん(69)が半身不随になったのを機に九三年に辞めるまで、二十二年間に手掛けた証人捜しは約五千人に上る。うち、八百十五人は新聞、テレビに公開した。ほぼ全員の手帳が取得できた
 ただ、被爆者みんなが手帳を取ったわけじゃあないんよ。乳児を連れて被爆した母親なんかは「将来、結婚に響いたらいけん」と被爆の事実を隠し、申請せんかった。差別や偏見があった。

 ▽被爆隠すのは間違い

 でも、わしは「それは間違い」と言うてきた。放射線を浴びた事実は重い。本人だけでなく、二世にも影響があるかもしれん。それは今のところ分かっていない。だから原爆は怖いんじゃろ。

 もし、母が子どもに被爆した事実を知らせずに死んでしまったら、子どもはどうなるんか。被爆の事実は埋もれてしまう。二世への影響が確認されて、対策が講じられるようになっても、その子は支援を受けられん。

 被爆のあかしである手帳を取ってほしい。使いたくなければ、使わんでもいいんだから。

 広島市には今も年間約六百人が手帳を申請し、二割程度は証人がないことなどを理由に交付がされていない。記憶の風化と被爆者の高齢化が壁として立ちはだかる
 一人でも多く手帳をもらい、後世の人に「原爆の被害者はこれだけいたんだ」と伝えることに意味がある。相談の仕事は辞めたけど、今も五人の証人捜しを手伝いよる。それぐらいのことをするのは、広島の被爆者の責任だと思うわけよねえ。

(2001年8月2日朝刊掲載)

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