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連載・特集

2001被爆者の伝言 丹土美代子さん (下) 悩み語り合える場、ほしかったんよね

丹土美代子さん(69) 広島市中区基町

 被爆して、半世紀を生きて、いろいろな悩みがあるのよねえ。被爆者は特に「病気になるんじゃないか」と不安もあるし、家族が原爆で死んで身寄りが少ない人もいるでしょう。差別や偏見があって、就職できない、結婚できない、子どもも産めない人もいる。自分だけが生き残ってしまったと自責の思いもある。

 ▽なお癒えぬ心の傷

 私だって原爆で心まで焼かれたようで、二十年は被爆体験を話せなかったし、今でも語れないつらい経験もある。五十歳間近で結婚して、いろいろ一口に言えないものがあった。だから、身内や友人にも言えない悩みを語り合えるような、地域の被爆者が支え合えるような組織がほしいと思ったんよね。

 一九九七年、地元の広島市中区基町、白島地区の被爆者に声を掛け、「基町・白島被爆者の会」をつくった。初回は約三十人が地元の中央集会所に集まった
 ご飯を一緒に食べたり、昔の歌を歌ったりと、気軽な雰囲気になるように工夫したんよね。八十歳くらいのおばあちゃんも楽しそうに体をゆすって歌ったりしてね。月一回は被爆者相談所のちらしを配り、年一、二回は集まるようにした。平和記念公園に集まって話をしたこともある。

 中には、被爆体験を一度も話したことがないという被爆者もいた。それが、会を重ねるうちに心が解きほぐれて、「実は、私あそこで被爆したんよ」という感じで話をしてくれた。「今でも原爆のことを夢に見て怖い」と相談してきた人もいた。やっぱり被爆者は心に傷を負っているんだなあと思わされたよね。心のケアが何より大切に思うから、臨床心理士の講座を聞きに行ったりもしてるんです。

 基町・白島地区は広島市の中心部にあり、戦前は軍用施設が並ぶ軍都広島の拠点だった。終戦後は公営住宅用地になり、原爆で四散した人や引き揚げ者らが住んだ。当初はバラック建ての不法建築が多かったが、七八年までに中高層アパート群に再開発された

 ▽若い人の参加望む

 高層アパートになっても、住み続けた人が多いから、ほかの地区と比べると被爆者が多い。高齢化も進んで孤老の人が多く、私らが若い方。だからこそ、げた履きで行けるような地域の組織が必要なんです。

 今年に入って、被爆者の会は開いていない。体調を崩したり、老人ホームに入所したりする人がいたためだ
 私自身も肝臓病を抱え、毎日薬をのんでいる。今年は夏バテもした。なかなか難しいんよねえ、みんな高齢で。体調が悪いことも多いし。月一回でも「元気ですか」と声掛けをしたいけど、現実にはなかなか…。

 若い人たちがボランティアで参加してくれたら、と思う。触れ合う中で原爆についても話をしていけば、継承にもつながるしねえ。

(2001年8月9日朝刊掲載)

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