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グレーゾーン 低線量被曝の影響 第3部 ゴールドスタンダード <1> 類例ない被爆者データ

 100ミリシーベルト以下の被曝(ひばく)では、発がんなどのリスクが増えるかどうかはっきりしない―。東京電力福島第1原発事故による低線量被曝の議論でよく出てくるフレーズは、国際機関の報告や勧告を踏まえている。その引用元になっているのは、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)が被爆者の疫学調査で積み上げたデータと解析だ。「ゴールドスタンダード」。関係者がそう呼ぶ研究成果の輝きと限界をみる。

 「ほとんど心配する必要はない」「存在しても非常に小さい」。画面の中で、電力中央研究所(東京)の吉田和生・放射線安全研究センター長が低線量被曝のリスクを解説した。福島第1原発の廃炉に取り組む作業員の不安緩和を目的に、東電が元請け企業に配ったDVDに収録されている講演の内容である。

12万人を追跡

 吉田氏が、被曝のリスクを説明する上で引き合いに出したのが、放影研のデータだ。被爆者と非被爆者(入市被爆者を含む)の計約12万人のがん発生率などを追跡した調査では、被曝線量が高いほど発がんのリスクが高まることが分かっている。一方、低線量での影響は明確ではなく、吉田氏は「10万人規模で調査しても、(喫煙や飲酒などの)他の要因に埋もれて分からないレベルだ」と語り掛けた。

 被曝に関する疫学調査については、国内外の原発作業員やコンピューター断層撮影(CT)を受けた患者のデータが存在する。対象人数は、同等かそれ以上の規模だ。それなのに、なぜ原発作業員などではなく、高線量の被曝も含まれている被爆者のデータを重視するのか。

 吉田氏は「放射線防護の世界では、被爆者のデータが全ての基礎だ」と言い切る。なぜなら、原発作業員が対象の調査では、年齢や性別、生活習慣に偏りが生じる。町で暮らす老若男女の頭上から同時に放射線を浴びせた原爆は、その非人道性ゆえに、年齢構成の幅広さや推定線量の精度などで世界に類例のないデータを提供している。

 各国から放射線の健康影響などに関する情報を収集し、リスクを検証する国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR、事務局ウィーン)。昨年11月に広島市中区であった放影研の市民講座に招かれたマルコム・クリック事務局長は「放射線被曝リスクを数値化できるのは、放影研の研究だけだ」と被爆者データの重要性を強調した。

無二の存在感

 UNSCEARは、放影研から新しい解析結果が出るたびに放射線リスクをまとめた報告書に引用。その報告書に基づき、学術組織の国際放射線防護委員会(ICRP)が被曝線量限度などを勧告し、日本を含む世界の各国が安全基準を設けてきた歴史がある。

 被爆者の生涯を追跡し、世界において唯一無二の存在感を示す放影研。さらに、その内部では、低線量被曝の影響を解明しようとする新たな取り組みが始まろうとしていた。(藤村潤平、金崎由美)

放影研の被爆者調査
 主に国際的な基準のベースになっているのは「寿命調査」で、被爆者約9万4千人と非被爆者(入市被爆者を含む)約2万7千人の計約12万人の死因やがん発生率などを追跡する。このほか、寿命調査の対象者のうち約2万5千人を2年ごとに健診する「成人健康調査」、約3600人の「胎内被爆者調査」、約7万7千人の「被爆2世調査」などがある。

(2016年5月22日朝刊掲載)

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