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連載・特集

グレーゾーン 低線量被曝の影響 第5部 科学者の模索 <2> 無傷の細胞になぜ異常

 被曝(ひばく)した細胞の周辺にある細胞が、被曝していないのに染色体異常を起こす―。こんな不思議な実験結果が、米ハーバード大の研究チームによって報告されたのは1992年のことである。

 カメラのレンズシャッターの原理を利用し、培養細胞に対して放射線の中で透過力の弱いアルファ線を最長で2秒間照射。約1%の細胞しか被曝していないのに、予測の2倍以上の染色体異常が見つかった。

 のちに「バイスタンダー(傍観者)効果」と呼ばれる、低線量被曝での特有の現象だ。福井大医学部の松本英樹准教授(放射線生物学)は、この現象の仕組みを20年近く研究する。バイスタンダー効果は「一酸化窒素が引き起こす」と結論づけ、放射線から身体を守る防護剤への応用にも取り組んでいる。

抵抗性を持つ

 松本氏は、一つ一つの細胞を狙い撃ちできるマイクロビームを用い、ヒトの培養細胞でバイスタンダー効果を再現。被曝した細胞で一酸化窒素がつくられ、周囲に伝わることでバイスタンダー効果が起きるのを突き止めた。

 さらに、低線量被曝によって引き起こされる「放射線適応応答」という防御的現象にも着目した。あらかじめ低線量被曝していると、その後に高線量放射線を浴びても体へのダメージが少なくなる。ワクチン接種で病気への免疫力ができるように、細胞が放射線に抵抗性を持つといわれている。

 松本氏は、体内で一酸化窒素を発生させる狭心症の治療薬を利用。事前に低線量被曝しなくてもバイスタンダー効果を発動させ、放射線に抵抗性が備わるかどうかをマウス実験などで確かめてきた。「防護剤や緩和剤として転用できれば、放射線でがん治療などを受ける患者の身体の正常な組織を守れるようになる」と展望を描く。

数マイクロメートルの照射

 90年代から続く研究を振り返って、日本マイクロビーム生物研究会の会長でもある松本氏は「技術の進歩が大きかった」と強調する。バイスタンダー効果が見つかった92年以降、研究は劇的に進化。詳細に解析するためのマイクロビーム照射装置が開発されるようになった。現在では、細胞の核あるいは細胞質の部位だけに放射線を当てる数マイクロメートル(1マイクロは100万分の1)の照射が可能という。

 低線量被曝について、松本氏は「100ミリグレイ以下でも、個々の細胞に何らかの反応が起きている」と確信しつつ、現時点では「影響を捉えるだけの技術的な感度がない」とみる。研究者としての経験も踏まえて「捉えることが不可能なものを無理やり捉えようとするべきではない。将来の新技術に期待したい」と考える。(藤村潤平)

(2016年7月27日朝刊掲載)

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