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遺品 無言の証人

爆心直下の瓦

壊滅の島病院 惨禍刻む

爆心地の惨状と復興の記憶を伝える瓦=1975年、島薫さんが原爆資料館に寄贈(撮影・高橋洋史)

 原爆資料館の収蔵庫には爆心直下の被爆瓦6点が保管されている。外科島病院(現島内科医院)跡と、その周辺で1949年ごろに収集され、院長だった故島薫さんが被爆30年の節目に託した。高熱で上薬が溶けて泡状に覆われ、焦げて変色し、ひび割れたかけらもある。

 原爆投下時の地名は広島市細工町(現中区大手町)。れんが造りの頑丈な建物は崩れてがれきの山となり、看護師や患者など約75人が即死する。前日から郊外に出張していた島さんが戻ると、余熱が残り、死臭が漂っていたという。

 近くで小児科の医院を営み、被爆死した妹夫婦の子も引き取って、島さんは同じ場所で木造の外科医院を再興する。その中で拾われた瓦は、小さな箱に入れたままだった。

 家族の前で原爆の記憶を語らなかった島さん。人知れず資料館に瓦を寄贈した2年後、79歳で亡くなる。「父は生涯、つらかっただろう。一緒に働いた人がみんなおらんようになったんだから。爆心地の瓦は旧病院の遺産だ」と長男の一秀さん(83)。ことしも8月6日の朝、病院に併設する自宅で慰霊の法要を開いた。(桑島美帆)

(2018年9月24日朝刊掲載)

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