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社説・コラム

評伝・葉佐井博巳さん 原爆の解明と継承に尽力

 葉佐井博巳さんは、自らも遭った原爆をめぐる研究と継承に半生をささげ、26日に87歳で死去した。原爆放射線量をヒロシマに残された試料から測定し、新しい推定計算方式「DS02」を取りまとめた。「戦争なき世界」を求めて証言活動にも努めた。被爆地に根差した核物理学者であり実践家でもあった。

 「核攻撃から市民を守る術(すべ)はない」。有事法制による広島市の「国民保護計画」策定で2007年、被害想定専門部会長として報告書をまとめ、核兵器廃絶の必要性を長年の知見を基に指摘した。

 「自分の考えをはっきり述べるが、人の話もじっくり聞く人でした」。部会などを共にした、元広島大原爆放射能医学研究所長の鎌田七男さん(81)は「広島らしい学者」の死を悼んだ。

 原爆の解明に挑む研究はまず現場からでもあった。日米両政府の研究チームが1986年に策定した推定方式「DS86」について、被爆地の試料を採取し、実際の線量測定と解析に取り組む。原爆ドームや元安橋(92年架け替え)、広島逓信病院、引き取り手のない墓石…。100を超す地点で採り、自然界には存在しない放射性物質を測った。

 広島大工学部教授だった葉佐井さんが率いる同大研究グループは結果の公表を続け、再評価を促す。日米合同研究者会議と上級委員会の日本側代表に就きまとめた「DS02」は03年に承認。広島原爆の出力はTNT火薬換算15キロトンが16キロトンに改められ、中性子線量は爆心地1~2キロでは最大10%増なのを突き止めた。

 広島一中(現国泰寺高)2年だった被爆体験を、70歳代後半から修学旅行生らに話す。「私なりに責任がある」。市が運営する広島平和文化センターの証言者に登録し、ピース・ボランティアとも語り合う。

 被爆者の記憶を語り継ぎ平和への思いを伝える人材の育成を―。原爆資料館資料調査研究会の10年報告書で提唱した。市が12年度に始めた「被爆体験伝承者」事業は葉佐井さんの言動から起こったといえる。

 地元で平和学を専門とする研究者に、「核軍縮でええんか、廃絶につながる研究じゃないのか」と広島弁で熱く迫った。「核兵器に依存するのは戦争を前提にするからだ。戦争なき世界をつくらんといけん」が持論でもあった。

 左肺を学生時代に摘出したが野球を愛した。広島六大学野球連盟理事長を引き受け、ハワイとの学生野球を通じた草の根の交流に30年余にわたって尽力。その功績から昨年10月、日米協会主催の賞を受け、往復航空券も手にした。

 「この27日にはハワイへ一緒に行くはずでした…」。妻尚子さん(80)によると、体調を崩して自宅近く佐伯区の病院で新年を迎えた。「電気を消してくれ、ありがとう」と妻を送った翌26日未明に息を引き取る。穏やかな表情だったという。(特別編集委員・西本雅実)

(2019年1月31日朝刊掲載)

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