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感性に訴える「あの日」 原爆資料館本館 来月25日再オープン 実物資料 より重視

 原爆資料館(広島市中区)は1955年の開館以来、米国による原爆投下が広島にもたらした被害を伝えてきた。今回、3度目となる大規模なリニューアルは、有識者が約8年半にわたり議論を重ねた。本館は遺品など「実物資料」をより重視した展示へと姿を変える。一つ一つの遺品、一人一人の犠牲者に思いを巡らせ、被爆の悲惨な実態をより身近に感じてもらう狙いがある。4月25日の再オープン後の展示はどのようなものになるのか。概要や特徴を紹介する。(明知隼二)

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 本館展示は「被爆の実相」をテーマとし、被爆当時の様子を伝える「8月6日の惨状」、被爆者や遺族が強いられた悲しみや苦しみに焦点を当てる「魂の叫び」など4コーナーある。

 東館は核兵器を巡る国際情勢や戦後復興の解説を軸とし、情報量が多い。対照的に本館では、遺品などの資料そのものにじっくり向き合うため、説明文は極力少なく抑え「感性に訴える展示」を目指した。外光を遮って全体の照明を抑え、被爆資料の保存と、遺品に集中する空間作りを両立させた。

 順路は、東館で被爆前後の広島のパノラマ写真などを見た後にすぐ、本館に移る。リニューアル前は東館全体を先に見る構成で、時間のない来館者が、実物資料が並ぶ本館を駆け足で通り過ぎるケースが多かったためだ。

 見せ方は来館者に少しでも「あの日」を感じてもらうように工夫をこらす。最初に遺品と出合う「惨状」コーナーは、中央の大型ガラスケース内に、建物疎開作業に動員され犠牲となった学徒23人の遺品を、あえて散乱したように配置。周囲の壁際には、爆風で折れ曲がった鉄骨などの大型資料をガラスで覆わずに並べた。破壊された都市の中に、人間の被害を浮かび上がらせる仕掛けだ。

 柱の一つとなる「魂の叫び」ゾーンでは、一点一点に遺影や家族写真を添え、家族から聞き取った生前のエピソードや言葉を短く紹介する。「あつい、あつい」「お水ちょうだい」。最期の言葉に刻まれた苦しみと、残された家族の悲しみを伝える。

 落葉裕信学芸員は「時間がたつほどに記憶は遠のくが、家族を思う気持ちは普遍的。原爆被害を自分に引き寄せて感じてもらえる展示を目指した」と話す。資料の保存と、「多くの人に見てもらいたい」との遺族の願いを両立させるため、遺品は1~2年に1回入れ替える方針。

 年々増加する海外からの来館者に備え、多言語にも対応する。展示の説明文は日英両語で表記。音声ガイドは、再オープン時点で中国語、韓国・朝鮮語、フランス語にも対応し、今後も拡充する。リーフレットは従来通りスペイン語、イタリア語などを加えた計10言語で用意する。

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志賀賢治館長に聞く

来館者が考えるきっかけに

 遺品などの実物資料を重視し、感性に訴える展示を追求したという原爆資料館の大規模リニューアル。被爆者が高齢化し、被爆当時の状況を語れる人が少なくなっていく時代の中で、資料館はどのような役割を果たそうとしているのか。志賀賢治館長に聞いた。

 2013年に就任して以来、私なりに「資料館とは何か」を考えてきた。思い至ったのは、広島の、あのたった一日の歴史を愚直に語り続ける博物館だ。

 館長として来賓を案内していると、例えば学徒が残した黒焦げの弁当箱の強い訴求力に気付く。子を持つ親は立ちすくんでしまう。当事者意識が生まれるからだ。いつ、どこで、誰が苦しみを強いられたのか。この「固有名」を持つ記憶が、原爆が何を奪い去ったかを伝えることができる。

 展示の検討過程では、旧本館に展示されていた、被爆者の姿を再現した人形の是非を巡る議論もあった。「原爆の残酷さが伝わりやすい」との意見も市民から寄せられたが、当の被爆者から「あんなもんじゃなかった」と指摘されるものを、資料館が「事実」として展示していいのか。そう言ってくれる人すらいなくなったときにどうなるのか。固有名のある実物資料を軸とする方針は揺らがなかった。

 今回の新展示が、おそらく被爆者が見られる最後の展示になる。その先は資料館が唯一の「語り部」となるが、本当にそれでいいのかという思いもある。当事者のいない広島が、どうすれば当事者性を持ってヒロシマを語り続けられるのか。資料館を含む広島全体の課題でもあるはずだ。

 なぜこんなことが起きたのか。資料館は答えを提供する場ではなく、むしろ来館者に問い掛け、考えるきっかけにしてもらう場だと考えている。新しい展示が狙った効果を出せているのか、検証はすぐにでも始めたい。資料の収集、調査、普及啓発という博物館本来の機能をさらに高めていくことも、役割を果たすために不可欠だと考えている。

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リニューアル後の展示概要

東館

3階

導入展示

 実物資料を通じて人間の被害を実感してもらう本館展示の前に、被爆前後の広島市街の変化を知ってもらう導入部との位置付け。約1分半のCG映像を白い市街地模型「ホワイトパノラマ」(直径5メートル)に投影し、原爆投下により一瞬で暮らしが奪われた様子を示す。壁には被爆前後のパノラマ写真を大きく展示し、対比させている。

核兵器の危険性

 原爆の開発と投下の歴史、科学的な観点からみた放射線の影響、核兵器の開発競争などの国際情勢をパネルで解説する。核兵器廃絶の動きでは、世界各地での非核兵器地帯の創設、国連で採択された核兵器禁止条約などの動きを紹介している。フロア中央には、より詳細な資料を読めるタッチパネル式の「メディアテーブル」を設置。被爆証言のビデオを視聴できるコーナーもある。

2階

広島の歩み

 広島の軍都としての歴史、戦後復興や平和活動の歩みに関する展示。焦土からの復興の礎となった広島平和記念都市建設法の成立、被爆者援護の歴史なども紹介し、市が中心となって取り組む平和首長会議にも触れている。メディアテーブルもある。

本館

学徒の遺品 配置に工夫

8月6日の惨状

 大型ガラスケース内に並べられた、焼け焦げた学生服やもんぺ、水筒や弁当箱…。空襲に備えて建物を取り壊す作業に動員されていた学徒があの日、身に着けていた品だ。一つ一つの遺品が際立つように、学芸員が会議室で繰り返し配置を試し、検討を重ねた。財布や水筒などの小物はわずかな段差を付け、浮き上がらせている。

 通路壁面には、やけどを負った被爆者たちの姿を捉えた記録写真と、被爆者が描いた「原爆の絵」が並ぶ。展示検討の過程では、被爆直後の写真記録が少ない中、炎に追われる市民、遺体の様子などを描いた原爆の絵の重要性がたびたび指摘された。記録写真と組み合わせて、記憶に基づく絵ゆえの「不確かさ」を補う展示とした。写真はモノクロの陰影が際立つように、絵は描かれた炎や血の色彩がよく分かるように、それぞれ照明の色みも微調整している。

本人や遺族の言葉引用

魂の叫び

 遺品は1点ずつ機密性の高いガラスケースに収める。本人や遺族の言葉を引き、原爆が奪った被爆者の人生、残された家族の苦悩に思いをはせてもらう。

 「伸ちゃんの三輪車」として知られる鉄谷伸一ちゃん=当時(3)=の焼け焦げた三輪車(父信男さん寄贈)など、現在は東館に展示している遺品も改めて紹介。焼け焦げたり、血の痕が残ったりしているシャツやブラウスなどの衣類は、生前の立ち姿をイメージしてもらうため、角度を付けた展示台で見せる。

 在韓被爆者、東南アジアから広島文理科大(現広島大)への「南方特別留学生」、幟町教会(中区)で被爆したドイツ人神父たち、外国人被爆者についても新たに常設展示する。

放射線による被害

 脱毛や吐血などの急性障害に苦しむ被爆者の記録写真と原爆の絵、日誌などの実物資料を通じ、爆発による破壊にとどまらない原爆の非人道性を伝える。

戦後も続く苦難に焦点

生きる

 原爆孤児や孤老、胎内被爆による原爆小頭症など、戦後もなお原爆により苦しめられた被爆者の歩みに焦点を当てる。被爆10年後に亜急性骨髄性白血病で亡くなった佐々木禎子さんの写真や折り鶴などの展示や、写真家の故福島菊次郎さんが、ある家族が被爆の後遺症と貧苦の中で崩壊していくさまを約10年にわたり追った作品群「N家の崩壊」もある。

ギャラリー

 本館展示を見終えた来館者が、現在の平和記念公園と向き合うスペースで、ベンチも設置する。壁面には地下に眠る旧中島地区の被爆前後の航空写真、復元地図のパネルも設け、かつて一帯に暮らしがあったことも意識してもらう。

 旧中島地区を巡っては、市が2020年度中の遺構公開を目指し、試掘調査などを進めている。資料館の展示検討会議でも、委員から「発掘している遺構を生かして、ここにかつて町があったということを感じてもらう工夫が必要だ」など、資料館の展示との連携を求める意見が出ている。

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CG動画で疑似体験を

 原爆資料館は、更新後の本館の展示内容を、実際に歩いているかのように疑似体験できる約3分のCG動画を公開した。

 動画は、東館から本館に向かう渡り廊下の部分から開始。本館最初の展示である焼け跡に立つ少女の写真に続き、中国新聞カメラマンだった故松重美人さんが原爆投下当日、被爆した市民の惨状を捉えた2枚の写真が、大きく引き伸ばして展示されているのが見える。

 動画は老若男女の来館者のイメージも配し、実際の展示品の大きさや位置関係も分かるようになっている。「8月6日の惨状」「魂の叫び」などの各コーナーを順に巡り、本館最後のギャラリーまで見ることができる。

(2019年3月20日朝刊掲載)

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