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連載・特集

筆に託して 戦争体験と表現 <3> 作家 天瀬裕康さん(87)=大竹市

「原爆」さまざまな角度で

 「平和が揺らぎ、悪夢が再現するかもしれない。差し迫った思いがあった」。天瀬裕康さんは2016年、少年時代の体験を軸にした短編集「異臭の六日間」(近代文芸社)を刊行した。その前年、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法が国会で成立。政府与党の強引な採決に違和感を覚えたという。書きためていた原爆小説8編を収め、急いで出版した。

 表題作「異臭の六日間」は戦後半世紀を経て初めて自身の被爆体験を扱った物語。1996年に同人誌「広島文藝派」で発表した。主人公の少年・慎一を通し、「臭い」をキーワードに呉と広島県飯室村(現広島市安佐北区)での記憶をつづった。

 呉市街地は45年7月1日夜からの米軍による爆撃で壊滅的な被害を受けた。呉市生まれの天瀬さんは当時、旧制呉一中(現三津田高)2年生。学徒動員先の呉海軍工廠(こうしょう)から自宅に戻り、就寝中だった。空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)へ逃げた。火が迫ってきたため、防空壕から出て山の上を目指した。途中、燃えていた建物の柱が倒れ、肩に当たってやけどした。その後、体調を崩し、母のいとこが住職を務める飯室の寺で療養した。

 8月6日朝、音と振動を感じ、クラゲのような雲を見た。黒い雨も降った。やがて、やけどを負った重傷の患者がトラックで寺へ運ばれてきた。負傷者は次から次へと息絶え、天瀬さんは遺体を大八車で運んだ。負傷者が収容された本堂から漂う例えようのない臭いが強烈な記憶として残る。

 終戦の翌年、中学の仲間や先輩たちと同人誌をつくり、文章に親しんできた。67年、中国地方で最初のSF創作グループを結成し、同人誌「イマジニア」を創刊。小説を書き続けたが、自らの被爆体験については、思い出すのもつらく、なかなか書くことができなかった。83年に中国新聞紙上で発表したショートショート「地獄の故郷」は、原爆という言葉は使わず、核兵器がもたらすイメージを抽象的に描いた。

 だが次第に自らの体験も「書かなければならない」との思いが強くなる。年月とともに「人々の記憶の風化に危機感が募った」と同時に、「自身のつらい記憶が薄れたことで、表現できるようになった」と振り返る。

 その後はさまざまな角度で「原爆」を描いた。原爆資料館の初代館長を務めた故長岡省吾を主人公にした作品などを集めた戯曲集「昔の夢は今も夢」(2010年)、自らの体験を基にした小説「疑いと惑いの年月」(18年)など表現のジャンルは幅広い。

 医師でもある天瀬さんは核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部の理事を務める。16年には、世界大会を軸にIPPNWの歩みを自分なりの視点でまとめた。今、英訳版の出版に向け、準備をしている。核廃絶に逆行する現在の世界に届けたいからだ。「原爆の悲劇は二度とごめんだ」。そう力を込めた。(増田咲子)

あませ・ひろやす
 1931年生まれ。本名渡辺晋。岡山大大学院医学研究科修了。日本文芸家協会、日本ペンクラブなどの会員。医学博士。平和関連の著書に「ジュノー記念祭 ヒロシマからのルポとエッセイ」(2010年)など。

(2019年8月8日朝刊掲載)

筆に託して 戦争体験と表現 <1> 児童文学作家 那須正幹さん(77)=防府市

筆に託して 戦争体験と表現 <2> 日本画家 宮川啓五さん(92)=広島市西区

筆に託して 戦争体験と表現 <4> 画家 吉野誠さん(86)=広島市西区

筆に託して 戦争体験と表現 <5> 画家 岡田黎子さん(89)=三原市

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