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連載・特集

継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第2部 島陰の戦争 <5> 文化遺産として

戦艦大和の主砲も試射

認知度向上へ クルーズ企画

 呉市で建造された戦艦大和。当時、世界最大の口径46センチを誇った主砲の性能テストも行った旧海軍の施設が、瀬戸内海の島の片隅に存在していた。倉橋島(呉市)の東端にあった亀ケ首試射場。戦艦の砲弾などの実験を繰り返し、海軍の武器開発の一翼を担った。

 明治期後半の建設とされる。軍事上の機密度が高く、資料があまり残っていないのも特徴だ。試射場は元は呉市警固屋地区の鍋山の麓に設けられたが、近くの民家に危険を及ぼす恐れから、亀ケ首に新たに建設された経緯があると伝わる。

 亀ケ首では、砲弾の初速測定試験や水中弾道実験などを繰り広げた。地下式の弾丸破裂試験槽や観測壕(ごう)などを備え、砲身や火薬を運ぶためのクレーンやトロッコもあった。

陸路で近づけず

 施設は終戦後、爆破により破壊された。遺構へは市中心部から車で1時間ほどの距離だが、現在は道路状況などから陸路で行くのは難しい。船で近づき、2本ある石組みの突堤から上陸する方法がある。うっそうとした木々の中にれんが造りやコンクリート製の構造物が確認でき、突堤にはクレーンのレール跡も残る。

 海外の友人と訪ねた経験がある新原芳明市長は「外国人も興味深そうに見ていた。歴史を感じられる呉の宝物の一つ」と説く。神奈川県横須賀市などと共に、鎮守府が置かれた旧軍港4市で認定されている日本遺産「日本近代化の躍動を体感できるまち」の構成文化財に追加認定される見通しでもある。

住民ら伝承に力

 だが、戦後75年がたち、試射場を記憶する人は減り、史実が埋もれつつあるのも確かだ。そんな中、地元住民たちでつくる「くらはし観光ボランティアガイドの会」は、遺構の保存や伝承活動に力を注ぐ。暴発事故などで亡くなった犠牲者の慰霊碑を建てて追悼行事を開いたり、跡地の草木を伐採したりしている。

 昨年度からは、レンタルボートなどを手掛ける地元のマリン倶楽部(くらぶ)カープボートと共に、跡地の見学とクルージングを組み合わせた企画も用意。認知度を高めようと努める。本年度は地元の中学生を現地に案内し、試射場の役割や歴史を伝える試みも検討している。

 柳井敏弘会長(79)は「大和の主砲のテストもした史跡は倉橋島にしかなく、文化的価値は高い。平和教育にも活用し、若い世代に引き継いでいきたい」と力を込める。(浜村満大)=第2部おわり

(2020年5月9日朝刊掲載)

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継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第2部 島陰の戦争 <3> 消せない歴史

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