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連載・特集

[戦後75年 二つの被爆地 中国・西日本2紙共同企画] 「手帳」の対象外 なぜ…

 被爆者健康手帳は、一定の指定区域内で直接被爆した人や、2週間以内に爆心地近くまで入った入市被爆者、救護被爆者などに交付される。しかし、その枠に収まらない人たちが「被爆者と認めて」と訴え続けている。行政上の区画で援護対象が線引きされた長崎。「黒い雨」が広範囲に降った広島。それぞれに固有の課題を通して、両被爆地の現状を見る。(中国新聞・桑島美帆、西日本新聞長崎総局・徳増瑛子)

長崎 「行政区域」で線引き

距離は同じなのに

 長崎市の元小学校教諭、岩永千代子さん(84)が手を伸ばして説明する。塀の手前の住所は末石町、向こうは深堀町。75年前、末石町は旧市内で、深堀は村だった。

 9歳だった1945年8月9日、閃光(せんこう)と爆風に襲われた。1週間後には歯茎から血が出て、のどに痛みと圧迫感を覚えた。岩永さんがいたのは旧深堀村。旧市内だった末石町と違って、被爆者とは認められない。「爆心地から同じ距離なのに、なぜなのか」

 長崎では原則、被爆当時の行政上の区分で「被爆者」かどうかが決まる。長崎で言われる「被爆地域」は南北24・9キロ、東西13・9キロの「いびつな楕円(だえん)」状のエリアだ。74、76年に拡大され、広島の「大雨地域」のように「国費での健康診断」を経て被爆者健康手帳に切り替わる対象地域も含む。

 市は被爆から約半世紀後、爆心地を中心とする半径12キロの「円」の内側にありながら、被爆地域ではない場所にいた住民から体験談を募った。「黒い灰やごみが舞い落ちてきた」などの証言が相次いだ。

 2002年、国は長崎独自の「被爆体験者」という区分を新設した。被爆体験による精神疾患や、それに起因する高血圧症などが認められた場合、関係医療費支給などの支援が受けられる。なおも「被爆者」との格差は大きい。19年3月末現在の対象者は5932人。岩永さんは50代に甲状腺異常と診断され、現在は耳鳴りに悩み入退院を繰り返す。「被爆体験者」では納得できない。

 被爆体験者が提起した訴訟で、最高裁は17年12月に原告387人の上告を棄却。国の主張を受け入れ、「爆心地から半径5キロにいなければただちに健康被害があったとはいえない」と判断した。原告団事務局長だった岩永さんら原告28人は長崎地裁に再提訴した。最高裁で敗訴した仲間には既に亡くなった人もいる。

 この間、被爆地域の拡大は必要と考える長崎市は国が求める「科学的・合理的な根拠」を得るための専門家による研究会を13年に発足。15年からは国への要望を再開した。

広島 焦点は「黒い雨」範囲

川を隔てただけで

 広島では、放射性物質を含んだちりやすすを含む「黒い雨」の健康被害の訴えが最大の焦点だろう。

 原爆投下後の大火災で上昇気流が発生し、広範囲に雨が降った。広島管区気象台(現広島地方気象台)の技師たちが1945年8~12月に行った調査結果により、爆心地周辺から北西に延びる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円のエリアで「激しい雨が降った」とされた。

 国は76年、この「大雨地域」で雨を浴びた人を対象に、国費で健康診断を受診でき、がんや白内障など国が定める病気と診断されれば被爆者健康手帳を取得できる制度を新設した。

 「大雨地域」の外側の楕円は「小雨地域」。援護の対象ではない。しかし小雨地域や、そのさらに外側で確かに健康被害を受けた、と訴える住民たちがいる。

 爆心地から約20キロ北の水内村(現広島市佐伯区湯来町)で生まれ育った前田千賀さん(78)=中区=は、75年前に太田川沿いの自宅で見た光景を覚えている。空が光った後、庭に出ると焦げた紙が降ってきた。この先の記憶はないが、畑で雨も浴びたと聞いた。

 川の対岸は「大雨地域」。そこで遊んでいた4歳上の姉は、手帳を取得した。「川ひとつ隔てただけで、認められないなんて」。5年前に甲状腺がんが見つかり白内障も患う。亡き母は皮膚病や心臓病に苦しんだ。父は78年、「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」の前身となる住民団体を結成した。

 国の線引きに対して88年、気象庁気象研究所の元研究室長、増田善信さんが「降雨範囲は45年調査の約4倍」と報告。市と県も2010年にとりまとめた調査結果に基づき、「大雨地域」を現状の6倍に広げることなどを国に要望した。しかし実現していない。

 前田さんら広島市や安芸太田町の住民は15年、被爆者健康手帳の交付申請を却下した県と市に対して集団訴訟を提起した。原爆の熱線、爆風、放射線を直接浴びなくても、放射性微粒子などを体に取り込む「内部被曝(ひばく)」で被害を受けている実態があると主張。援護対象区域の拡大を求めている。

 原告団85人のうち、副団長だった松本正行さんら12人が亡くなった。地裁判決は7月。「黒い雨」を巡り初の司法判断が示される。

「科学的根拠」求める国に矛盾

 広島と長崎の原告たちが真に責任を問う相手は、被告である県や市以上に、「原爆被害を過小評価している」という国である。共通する壁の一つが、「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定」とした1980年に厚生相(当時)の私的諮問機関による答申だ。これが国の被爆援護行政の指針であり続けている。

 広島の「黒い雨」について、現在96歳の増田善信さんは「降雨域がきれいな卵形のはずがない。私の研究の方が科学的。やりきれない」と憤る。日赤長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長(76)は、科学を追究するなら、長崎で行政区域に沿って被爆地域を指定したこと自体「間違いだった」と指摘。「政治的に解決するしかない」と話す。

(2020年5月25日朝刊掲載)

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