×

ニュース

3歳で被爆 体験つづる 熊野の脇舛さんが手記 呉空襲や戦後の暮らしも

 3歳の時に広島で入市被爆した脇舛友子さん(78)=熊野町=が、自身の戦争体験をつづった手記を自費出版した。海外の若者にも戦争の悲惨さを伝えようと英文を併記。収益の全てを国連に寄付し、核兵器廃絶の活動に役立ててもらう。

 手記の題名は「戦争を知らないあなたへ 3歳被爆から生かされた私が見た戦後」。脇舛さんは1945年8月6日、母の実家の吉田町(現安芸高田市)から呉市の自宅に帰る途中、母の背中で入市被爆した。手記は、同年7月の呉空襲の記憶、母から聞いた原爆投下直後の惨状など33項目で構成した。

 戦後の様子も丹念に描いた。野山に自生する草を口にした日々を振り返る「こどものおやつ」、風呂を沸かす燃料にする松葉を拾った記憶をつづった「柴(しば)刈りへ」など、当時のつましい暮らしぶりを伝えている。A5判、67ページ。

 脇舛さんは2018年、広島市の繁華街で毎月6日に開かれる被爆証言会に参加したのを機に、自らも体験を語り始めた。市の「被爆体験証言者」を目指し、研修を受ける中で体験をつづろうと思い立った。巻末に自身の証言録も収めた。琴の師範でもあり、自身が演奏した箏曲のCDも付けた。

 原爆資料館(中区)や市立中央図書館(同)などに寄贈したほか、被爆証言会の会場で販売する。価格は決めず、寄せられた全額を国連に贈る。脇舛さんは「近年は国家間の緊張がますます高まっている。戦争が人々に何をもたらすのか、国内外の若い人に知ってほしい」と話す。(田中美千子)

(2020年6月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ