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被爆前の広島

原爆資料館の地下から見つかった、焼けたしゃもじなどが残る旧材木町とみられる遺構(2016年3月)

原爆で消えた街、遺構眠る

世界中から観光客が訪れる広島市の平和記念公園。「昔から公園だった」と思い込み、家がなかったから原爆の被害が少なかったと誤解する人もいます。しかし公園のある中島地区は江戸時代からにぎやかな街で原爆が落ちるまでは商店や旅館、民家、寺院、さらに映画館などが集まって約4400人が住んでいました。その暮らしが一瞬で断ち切られたのです。

平和記念公園の地下に昔の街並みの跡が眠っていることが、最近の発掘調査で分かってきました。2017年3月まで原爆資料館周辺で続いた調査では「材木町」と呼ばれた街の跡が掘り出されました。原爆で焼けた土の層や道、風呂屋らしい建物跡、牛乳販売店があったとみられる多くの牛乳瓶。さらに掘り進めると広島に城下町ができた400年以上前の石垣なども見つかりました。再び埋め戻されましたが、ほかにも公園の下には消えた町の遺構が眠っています。

ありし日の爆心地 写真に

松本若次さんが撮影した中島地区と一帯のパノラマ写真(大内斉さん提供)

被爆前の広島は、どんな姿だったのでしょう。戦前に広島市の中心部で「広島写真館」を営んでいた松本若次さん(1965年に76歳で死去)が1938年に旧商工会議所屋上から、爆心地一帯となる中島地区をはじめとした街並みを撮影しています。そのほかにも被爆前の広島の町の様子を撮影した貴重な写真を、廿日市市地御前の家に残していたのです。それらの写真を通じ、当時の街のたたずまいをしのぶことができます

爆心地復元地図
(中国新聞社作成)

中国新聞社は、現在の平和記念公園周辺、爆心地の原爆投下直前の街並みを2000年6月に地図で復元しました。旧住民・遺族の協力を得て、居住および建物強制疎開(立ち退き)、移転を直接確認した世帯・事務所を復元しました。この地図からは、失われた暮らしの記憶が浮かんできます。

平和記念公園(爆心地)街並み復元図(PDF/7931KB)

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