×

連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年] 幻の米原爆展の資料寄贈 スミソニアン元館長が地元文書館に 1995年計画時の文書・書簡

 米国ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館の元館長マーティン・ハーウィット氏(83)が、1995年1月に事実上中止となった広島原爆の投下機エノラ・ゲイ号の特別展に関連した資料を、同市内のスミソニアン協会文書館に寄贈したことが分かった。同館で申請すれば閲覧もできる。

 寄贈文書は、被爆資料の貸与要請をめぐる広島、長崎両市とのやりとり、内部の検討文書、復員軍人協会が書き込みを入れた展示台本で、ハーウィット氏の辞任後に返還してきたものなど段ボール10箱分。昨年まで自宅に保管していた。

 95年5月に上院公聴会で展示計画の経緯を証言することになっていたため、基礎資料として職員に複写させたという。直前に証言を阻止され辞任したため日の目を見なかったが、日本でも97年に「拒絶された原爆展」として出版した著書を執筆する際の資料にした。

 ハーウィット氏はこの時期の寄贈について「(政治的圧力で)非公開扱いになったり破棄されたりすることを恐れたが、そうはならないと確信できた。この論争を研究する人たちの役に必ず立つと考えた」と説明している。

 中には、2011年に80歳で亡くなった原爆資料館(広島市中区)の高橋昭博元館長が送った93年5月の英文書簡も。自らの被爆体験とともに「(原爆を開発した)マンハッタン計画を正当化するなら、私は(展示に)反対する」と表明している。ハーウィット氏は翌月「単に原爆開発計画の技術面を力説するつもりはない」と返信した。

 高橋さんの妻史絵さん(78)は「いつも、何とかして原爆の本当の恐ろしさを米国の人たちに分かってもらいたいと手紙を書いていた。一片の紙でも、夫の残した思いが米国で公開されるのはうれしい」と話している。(金崎由美)

原爆展論争
 スミソニアン航空宇宙博物館は被爆50年に合わせ、特別展を企画。当初は、実物の被爆資料や原爆被害を捉えた写真、原爆使用肯定論とは矛盾する内容の第2次世界大戦中の公文書なども示す方針だった。しかし退役軍人団体などが猛反発。展示台本は大幅に書き換えられた。最終的にハーウィット館長は辞任を強要され、原爆被害には一切触れないまま原爆投下機のB29爆撃機エノラ・ゲイ号の機体の一部だけが展示された。

(2015年2月28日朝刊掲載)

[ヒロシマは問う 被爆70年] 「神話」の壁