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連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年] 原発反対は「別物」か 被爆者揺さぶる福島第1事故

 「原発やめろ」「再稼働反対」―。怒気を含んだ白い息が束になり、夜空に消えていく。東京・永田町の首相官邸前。原発に反対する11団体でつくる首都圏反原発連合によるデモだ。福島第1原子力発電所の事故から約1年後の2012年3月に始まり、ほぼ毎週金曜の夜に開かれている。

 幅広い年齢層が集い、主に30、40歳代のリーダーが取り仕切る。その一人でイラストレーターのミサオ・レッドウルフさん(本名、年齢は非公表)は広島市南区出身。「脱原発で一点突破できれば、社会全体の仕組みは大きく変わる」と、このデモにこだわる理由を語る。

 知人に誘われて07年に脱原発運動を始めた当時、違和感を覚えたという。デモや集会の中に、被爆者が見当たらなかったからだ。「放射能の怖さは同じなのに、なぜ一緒に動かないのか」。核がもたらす被害を身をもって知る被爆者が運動に加われば、大きな力になると思うと納得がいかなかった。

 核兵器と原発。この二つを分ける考え方は、日本被団協が設立された1956年から色濃く出ていた。だが、福島第1原発事故が起きた。放射性物質が大量に放出され、大勢の人が避難を強いられた。被爆国で起きた新たな核被害。この状況は被爆者の心を激しく揺さぶることになった。(藤村潤平)

(2015年1月31日朝刊掲載)