×

連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年] 米、初核実験の地で被曝調査着手 ニューメキシコ州トリニティ・サイト 

 広島と長崎に原爆を投下する前の1945年7月16日に米国が初めて核実験をしたニューメキシコ州のトリニティ・サイト周辺の住民が、健康被害を訴えている。昨年9月に米国立がん研究所(NCI)の研究チームが被曝(ひばく)状況の調査を開始。世界最初の原爆被害者が自国内に存在すると、米国が認めるか注目が集まる。核兵器が使われて70年。日米で原爆をめぐる記憶の継承が瀬戸際にある中、投下を正当化する声が根強い米国に、変化の兆しを見た。(金崎由美)

 爆心地の南東約65キロにあるトゥラローサ村をはじめ、周辺地域に住む人や出身者は2005年に住民団体を設立。ティナ・コルドバ代表(55)は「戦後生まれも含め、甲状腺がんやその他の固形がん、白血病が異常に多いのは明らか。放射性降下物で汚染された食べ物や水を摂取し、内部被曝したとしか思えない」と主張する。

 同村のヘンリー・ヘレラさん(80)は、「あの日」のきのこ雲を見た。「数時間後には灰が降ってきた。それを生きて語れるのは自分だけ。皆、がんで死んでしまった」と嘆く。

 住民は核実験時、近くの空軍基地の弾薬庫で爆発があった、と偽った情報を聞かされただけで避難指示は受けなかった。この地の草を食べた牛の乳を飲み、ウサギを狩る自給自足の食生活を続けた。雨水をためて飲んだという。

 米国には既に、ネバダ州の核実験場で行われた大気圏内核実験の従事者や周辺の「ダウン・ウィンダー(風下住民)」、ウラン採掘場の労働者を対象に一時金を支払う被曝補償法(RECA)がある。トリニティ・サイト周辺の住民らは、ニューメキシコ州も早急に対象に加えるよう法改正を連邦議会に働き掛けている。

 トリニティ・サイトをめぐっては、原爆開発が極秘計画だったこともあり、大気圏内実験が100回も繰り返されたネバダ州と比べて注目度は低かった。だが10年に米疾病予防センター(CDC)の報告書が「内部被曝が相当の健康リスクを及ぼしている可能性がある」と指摘。今回のNCIの調査は、初の本格的な住民調査になる。

 担当する線量測定の専門家スティーブン・サイモン氏(65)によると、まずは核実験当時からの住民9人を面接。昔の食生活などを詳細に聞き取っている。さらに人数を増やし、人種や地域ごとの差も調べる。放射性降下物の飛散範囲のデータなどと照らし合わせ、被曝線量の推定につなげたいという。

 ただ、研究目的の調査が議会の動向に影響するかは未知数だ。コルドバさんは「70年前に何が起こったのか知りたい」としながらも「私たちには時間がない。調査でもし明確な結果が出なかったとしても、救済を遅らせる口実にされてはならない」と警戒している。

トリニティ・サイト
 米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の下、史上初の核実験がされた場所。長崎原爆と同じプルトニウム型の核爆弾を、高さ約30メートルの鉄塔の頂上に据え付けて爆発させた。威力はTNT火薬に換算して広島原爆(約15キロトン)を上回る19キロトン。きのこ雲は上空約11・5キロまで上がり、約200キロ離れた場所のガラスが衝撃波で割れたといわれている。

(2015年1月5日朝刊掲載)